初めまして、私は和太鼓研究家のMr.バチコーンと申します。
初心者から気楽に和太鼓が始められる「バチコーン道場」という体験会を毎年福岡で開催しており、「間違ってもいいから思いっきり」をモットーに和太鼓の楽しみをお伝えしています。
この「間違ってもいいから思いっきり」という心意気は、私の和太鼓の師匠である歌舞劇団「田楽座」の方々からいただいたアドバイスを受け継いだもの。
そんなわけで、私の主催するバチコーン道場では「間違えることを恐れて縮こまる」といった場面が現れないよう、何よりも思いきりのよさを重視した指導を行っています。
ですが、日本ではそういったエモーション優先の習い事はなかなか見当たらないように感じます。
和太鼓の世界でもその傾向は強く、心から楽しんで演奏しているようなチームには滅多にお目にかかれません。
一見して笑顔で元気良く演奏しているように見えるチームであっても、チームの方針として「そう魅せなければならない」から演じているという場合がほとんど。
このような数々の「ねばならない」に縛られているせいで、巷には肩肘張った不自由な演奏が溢れ返っています。
これには、求められる答えを素早く導ける人が優秀とみなされる、社会や学校や家庭での刷り込みが深刻に影響しています。
子どもの頃からこうした評価の圧力にさらされてきた人々は、それぞれの場における出来不出来によって己の人格が査定されているように感じ、そのたびに自尊心を傷付けられてきたのです。
バチコーン道場は、そうした悪習をできるだけ低減したいという想いから生まれた場所です。
そもそも、世のほとんどの人にとって、太鼓なんて人生を彩るための手段の一つでしかありません。
せっかくの楽しみの時間に、「こうあらねばならない」などと神経質に思い詰めるなんて本末転倒。
大事なのは、自分の人生を思いっきり楽しむことではないでしょうか。
ですからバチコーン道場では、「和太鼓を使っていかに気持ちよくなるか」という参加者自身の満足感こそを最優先の目標としています。
演奏とは、みんなで造り上げる飛びきり楽しい遊び。
そこに参加するのが楽しいからゲームのルールとして曲を覚えるだけであって、別に誰かに評価してもらうためにやっているわけではありません。
私が和太鼓を通じて発信したいのは、伝統の重さやパフォーマンスの優秀さなどではなく、人生を楽しむマインドの方なのです。
「間違ってないか」を気にして生きるという文明人特有の病状とどのように向き合っていくか。
実はこれこそが私にとっての長年の研究テーマであり、バチコーン道場はそれに対する自分なりの解答例でもあります。
そしてこのブログでは、和太鼓だけにこだわらず言論の場面一般の話題を取り上げていきたいと考えています。
人生をのびのびと思いっきり楽しんでいくには、「間違ってないか」を始めとする「○か×か」という思考パターンから距離をおくこと。
そんな和太鼓での学びをもっと広く活かしていけたらと思い、この言論の場を「間違ってもいいから思いっきり」と名付けました。
長文だらけのブログになるとは思いますが、これからの連載に興味を持っていただけたら幸いです。
※当ブログの主なテーマは、この世界を支配する「正しさ」という言葉のプロレスとの付き合い方。
http://mrbachikorn.hatenablog.com/entry/2014/03/12/175400
※そのプロレス的世界観を支えている「記述信仰」の実態を、簡単な図にしてまとめています。