これは、イラストレーターの友人が描いてくれた私の似顔絵。
周囲の仲間からの評判は「めちゃ似てる」「目元がそのまんま」「実物より優しそう」などなどかなりの好評価。
描かれた本人としても、こんなにそっくりに描いてもらえたのかと驚きましたし、さらに実物の私よりもにこやかで柔らかな表情に仕上げてもらえて大変満足しています。
ここには「似てるかどうか」という写実性のみに留まらずに、この絵によって幸せをもたらそうと創意工夫する、より高い次元でのデザインへのこだわりが感じられます。
芸術の目的は受け手の感情を揺さぶること。
リアリティの追究なんてものは、そのための手段の一つでしかありません。
もしこれが「似てるかどうか」だけを気にして必要以上にリアルに描かれたものだったとしたら、ここまでの満足感は得られなかっただろうと思います。
絵画表現におけるこの「写実とデザイン」の関係は、言語表現における「記述と説得」の問題と瓜二つです。
言葉を使用する目的も、結局は解釈者の脳内に影響を及ぼすこと、つまりは説得です。
話している内容が「どれだけ正確な記述になっているか」なんてことは、説得のために利用される一種の方便でしかありません。
私が問題視している文明人特有の病状とは、この言葉における「記述と説得」の優先順位を根本的に取り違えてしまっているということなんです。
言葉とは、ヒトという動物が弱肉強食の現実を生き延びるために手にした、極めて物理的な生存手段です。
発達したヒトの口の構造はバリエーション豊かな発音を可能にし、言語という複雑な音声信号を編み出しました。
この音の刺激は仲間の脳内に起こる電気信号を誘導するための起爆剤として活用され、そのおかげで人類は幅広い分野でお互いの行動を制御し合えるようになります。
これによってヒトは火や武器などの技術を共有し、集団でのそれぞれの役割を効率的に分担していくことで、他の動物たちと対等以上に渡り合えるようになりました。
こうして食物連鎖の頂点に立った人類は、明日の食べ物に困らなくてすむような文明社会を形成していきます。
その結果、多くのヒトは他の野生動物との生存競争から解放され、その替わりに人間社会の内部における取り分の奪い合いに専念するようになりました。
そしてこの頃から、言葉における「記述と説得」の優先順位が勘違いされ始めます。
これまで見てきたように、野生の現実に対抗するために組織されてきたのが人間の複雑な社会集団であり、その集団を形成するための物理的な機能こそが言葉という音の刺激です。
つまり、私たちの社会集団を構築しているのも、支配しているのも、私たちが使ってきた言葉の影響力に他なりません。
そんな人間社会の内部で一体のヒトが己の分け前を確保するためには、この社会を構築している「言語ゲーム」において優秀なゲーマーになる必要があります。
そして、この「言語ゲーム」における戦いを優位に進めるための工作として、文明人たちはある壮大なフィクションを編み出します。
それが「言葉はもともと世界を記述するためにある」という固定観念です。
言葉の持つ本来の役割は「説得」という脳波への干渉行為。
ですが、人間同士の取り分を争って説得工作をしているときに「お前の考え方に干渉してやる」という意図をあからさまにしてしまえば、相手に必要以上の抵抗を生んでしまい得策ではありません。
そこで活躍するのがこの「記述」というフィクションです。
「世の中はこうなっている」という事実を語るかのような言い方は、「あなたを説得しようとしている」という言論の実態から目を反らす有効な隠れ蓑となります。
そして、権力者たちは「この世界は本当はどうなっているのか」という言語ゲーム内での言葉遊びに学術的な権威を与えることで、記述というフィクションの説得力を強化してきました。
宗教、哲学、科学など、世の中の仕組みに言及する勢力はいくつもありますが、これらは世界の仕組みを解明してきたわけではありません。
それらの権威は、現実の世界を正確に描くために写実的な記述をしてきたのではなく、私たちの使う言葉の枠組みを造り出し、脳波への影響を左右することで人間社会の在り方をデザインしてきたのです。
ですから「世の中はこうなっている」という記述めいた発言が現れるときには、あっさり「そうなんだ」と騙されてしまわないよう注意が必要です。
もちろんここでの私の発言も全て、言葉を使って語りかけている以上は、読者の皆さんの脳波に影響する説得行為です。
私の人生のテーマは、「全ての言葉は自分の脳波に影響を与えようとしている」という説得の実態を世の常識に登録し、記述というフィクションに騙されたり傷付けられたりする人を減らすこと。
今回説明しきれなかった部分についてはこれからの記事でフォローしていくつもりですので、今後ともどうぞよろしくお願いいたします。
※当ブログの主なテーマは、この世界を支配する「正しさ」という言葉のプロレスとの付き合い方。
http://mrbachikorn.hatenablog.com/entry/2014/03/12/175400
※そのプロレス的世界観を支えている「記述信仰」の実態を、簡単な図にしてまとめています。