間違ってもいいから思いっきり(市井人の日曜研究)

私たち人間は、言葉で物事を考えている限り、あらゆるものを「是か非か」と格付けする乱暴な○×ゲームに絶えず影響されています。ここでは、万人が強制参加させられているこの言語ゲームを分析し、言葉の荒波に溺れてしまわないための知恵を模索していきます。

素敵な「大人の条件」

 成人の基準というのは場所や時代によって様々ですが、現在の法治国家においては法律によって年齢のみで決められていることがほとんど。
 どの国の成人の年も、だいたい14~21歳の間に収まっています。 

 しかし、そういった法律が定める成人の基準とは別に、「あの人は大人だ」とか「あいつはまだまだ子どもだ」といった言い方も世の中には出回っています。
 この大人と子どもの基準は、主張する人によってどうとでも変わっていく非常に曖昧なもの。
 各々にとって都合の良い印象操作を行うための手段として、個人の勝手な決め付けで運用されているのが実態です。

大人らしさって何だろう。

大人らしさって何だろう。

 

 
 別にこの問題に限らず、世に溢れる数々の曖昧な基準は、個人個人の説得の圧力を高めるためにその時々ででっち上げられる作り話です。
 この弱肉強食の説得合戦を生きるプレイヤーの一人として重要な視点は、「どれが正しい基準か」という他者依存の見方ではなく、「どの基準なら自分の都合とマッチするか」という自立した情勢判断の方でしょう。

 そこで今回は「大人の条件」というテーマについて、私自身が「これなら応援できる」と思えたお気に入りの方便を紹介します。
 それでは、ブログ『内田樹の研究室』における「お正月向きの大学人」という記事の抜粋を御覧ください。

つねづね申し上げているように、年齢や地位にかかわらず、「システム」に対して「被害者・受苦者」のポジションを無意識に先取するものを「子ども」と呼ぶ。
「システム」の不都合に際会したときに、とっさに「責任者出てこい!」という言葉が口に出るタイプの人はその年齢にかかわらず「子ども」である。

~中略~

「子ども」でも何かを破壊することができる。
でも、彼らが破壊したあとに建設するものは、彼らが破壊したものと構造的に同一で、しばしばもっと不細工なものである。

もちろん「子ども」には「子どもの仕事」がある。
それは「システム」の不具合を早い段階でチェックして、「ここ、変だよ!」とアラームの声を上げる仕事である。
そういう仕事にはとても役に立つ。

でも、「システム」の補修や再構築や管理運営は「子ども」には任せることはできない。
「ここ変だよ」といくら叫び立てても、機械の故障は直らない。
故障は「はいはい、ここですね。ではオジサンが・・・」と言って実際に身体を動かしてそのシステムを補修することが自分の仕事だと思っている人によってしか直せない。

現代日本は「子ども」の数が増えすぎた社会である。
もう少し「大人」のパーセンテージを増やさないと「システム」が保たない。

別に日本人全員に向かって「大人になれ」というような無体なことは言わない(そういうめちゃくちゃなことを言うのは「子ども」だけである。「大人」はそんな非常識なことは言わない)。

まあ、5人に1人か、せめて7人に1人くらいの割合で「大人」になっていただければ「システム」の管理運営には十分であろうと私は試算している。
今は「大人比率」が20人に1人くらいまで目減りしてしまったので、この比率をもうちょっといい数字まで戻したいだけである。

「そういうのだったら、それやってもいいです」という奇特な方が若い人の中から少しばかり出て来ていただければ、それで十分である。
残りの諸君は愉快に「子ども」をやっていてくださって結構である。

 もちろん、ここで紹介された「大人」と「子ども」の見分け方は、内田樹個人がプロデュースした作為的な基準に過ぎません。
 だからと言って私は、この「大人の条件」のことを「これは作り話だから認めない」と非難しようとは思いません。
 なぜなら私自身も、内田氏の言うような「大人」が世の中に増えてくれたらと願うからです。

 この「大人」という概念だけでなく、「神」「愛」「罪」「正義」「人道」「人権」「平等」「公平」「客観」「実在」「真理」などの概念も、全ては言葉によって演出された作り話です。
 ですが、作り話だからと言って決して無駄なわけではありません。
 これらのフィクションがあったおかげで、現代の文明社会は今のような姿にデザインされてきたのです。
 大事なのは「何が正しいのか」というありもしない既成事実への依存心ではなく、「この世界にどんな波紋を起こして住みよくしていくか」という一人の自立したプレイヤーとしての覚悟でしょう。

 「そういうのだったら、それやってもいいです」と思える人が一人でも増えてくれたらと私自身も全面的に賛同できたので、ここでこの記事を紹介してみました。
 「獲れる所から獲っておかなきゃ損」とばかりにゆすりたかりを正当化するクレーマー社会に対し、一人のプレイヤーとして僅かばかりの反撃を試みているつもりです。

 私はこの「大人の条件」を「事実」として皆さんに押し付けるつもりはありません。
 ただただ、気に入った方にだけご愛用いただければ幸いです。


※当ブログの主なテーマは、この世界を支配する「正しさ」という言葉のプロレスとの付き合い方。

http://mrbachikorn.hatenablog.com/entry/2014/03/12/175400
※そのプロレス的世界観を支えている「記述信仰」の実態を、簡単な図にしてまとめています。

http://mrbachikorn.hatenablog.com/entry/2014/07/06/051300