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間違ってもいいから思いっきり(市井人の日曜研究)

私たち人間は、言葉で物事を考えている限り、あらゆるものを「是か非か」と格付けする乱暴な○×ゲームに絶えず影響されています。ここでは、万人が強制参加させられているこの言語ゲームを分析し、言葉の荒波に溺れてしまわないための知恵を模索していきます。

変なおじさん宣言

 私は私立高校の非常勤教師として教壇に立ちながら、和太鼓・お囃子・民舞など日本の民俗芸能の普及活動に携わっています。
 教師としてのキャリアは9年目で、これまでいくつかの高校で受験数学を教えてきました。

 現在勤務している大阪の高校に来る際、採用試験の一環として「私の目指す教師像」というテーマの小論文を提出するよう求められました。
 800字以内という字数制限の中で私自身の立ち位置をまとめる良い機会だったので、そのときの本文をここで紹介してみたいと思います。

私の目指す教師像は変なおじさんである。
変なおじさんと言っても、いわゆる不審者のことではない。
「異端な存在感を持つ社会人」といったニュアンスを、変なおじさんという言葉に込めているつもりだ。
その上で本論では変なおじさんの教育的効果を検証し、変なおじさんという教師像の妥当性を訴えたい。

そもそも学校教育とは何のために存在するのか。
学校教育における目的意識は人や組織によって様々であろうが、ここでは仮に「社会を生き延びていくにあたって必要な知恵を育むため」と、簡単にまとめてしまうことにする。
社会のあり様は刻一刻と変化している。
過去に良しとされた常識もどんどん賞味期限切れになっていく。
そんな社会を生き延びていくのに必要な知恵とは何か。
もちろん英語・中国語・ITなどの知識も必要とされよう。
だがそれ以上に重要なのは、未知の価値観にも対応できるような柔軟性である。
仮に英語・中国語・ITなどの知識を身につけたとしても、想定外の価値観の転換が起こったときに、慣れ親しんだ価値観にしがみついているだけでは時代の流れを掴める可能性はきわめて低い。

そこで登場するのが変なおじさんである。
変なおじさんの存在意義は、価値観の『振れ幅』の拡大にある。
似たような価値観を持つ人に囲まれて狭い世界で生きてきた人間は、いざ見知らぬ価値観と出会ったときにどうしていいか分からない。
けれども様々な価値観を受け入れてきたという経験を持っていれば、未知の価値観と出会ったときにも応用が利く。
だから生徒には、できるだけ多種多様な考え方を持った大人に出会って欲しい。
変なおじさんの存在は生徒の幅を広げ、柔軟な感性を育みうるのだ。

 そもそも私は、教師という職業に対して憧れなど全く抱いたことがありませんでした。
 大学の学部時代も、専門の数学以外に教職教養科目を選択すれば教員免許をとることができましたが、そのころの私は「人に生き方を指図するような人種にだけはなりたくない」と思って選択していなかったのです。

 そんな私の転機は大学院生時代に訪れました。
 とある進学校の生徒を複数集めてボランティアで定期試験の対策をしていたことがあるのですが、そのうちの一人が私に向けて「学校の先生をやったらいいのに」と口にしたのです。
 私も生徒がとっているノートや教科書の解説を見ながら「こんな語り手本位の組み立てでは授業を受ける生徒が可哀想だ」と内心思っていたので、その言葉をきっかけに「学校の現場で高校数学を教えてみたい」と思い始めました。

 ですが、初めて勤めた女子校ではそんな想いが空回りしました。 
 新社会人として初めて経験する組織の社会圧に萎縮してしまい、 「求められる人物像」ばかりを気にして己を上手く出せなくなってしまったのです。

 教師という存在に対して抱いていた負の先入観も災いし、自分なりの目指すべき教師像というのがなかなか掴めないままにもがきながら、2年、3年とキャリアを重ねました。
 その問題を解決するヒントとなったのが、初任校を辞めるときに生徒達に書いてもらった授業アンケートです。

「最初はテンションについていけなかったんですが(笑) 、今は一番わかりやすい説明だなあと感じます。」

「数学が苦手な私にとっては、先生の授業は、昔に習った基礎にもどって説明してくれたりしてくれる親切なものでとても良かったし、助かりました。他の先生には聞けないくらいのあたり前の質問も先生は丁寧に答えてくださったのでありがたかったです。だから、先生がいなくなってしまったら、私は一体誰に質問すればいいの!?というほど、私はこれから先の数学人生に不安を感じています。(泣)でも、こればっかりは仕方がないので、どうにか頑張ろうと思います。」

「私は数学にずっっっと苦手意識がありましたが、先生のおもしろくて丁寧な授業のおかげで数学の時間が楽しくて、また和みの時間になりました。」

「先生は、今までに出会ったことないような人で(笑)、動きとかしゃべり方とかおもしろかったです。1年にあんなに骨折した人を見たのは初めてです(笑)」

「先生の授業はすごい分かりやすかったです!それに先生は何か変な人だったから、楽しかった(・ω ・)/私は来年も国文だからあと1年数学頑張ります(`・ω ・´)数学あんまり得意じゃないけど頑張るけん!!先生にもう数学教えてもらえないのがやっぱり悲しいよー(´`)受験頑張ります。先生も頑張ってね。」

「先生の授業は数学なのに全然退屈じゃなくてむしろとても楽しかったです。ユニークというか、悪く言えば変人というか、今までにないような先生で数学の授業が嫌になりませんでした。それと、とても分かりやすかったです。」

「先生の授業をうけて、先生は変わってる人だなぁと思いました!!でも、ニュースタンダードなどの解説はとても詳しくして下さって、試験前に自分のノートを見たら分からないところが詳しく解説がかかれてあったので、助かりました。」

「新しい単元に入るとき、これからこうしていきます… みたいな感じで言ってくれたので、何してるかわかって授業がわかりやすかったです。今までありがとうございました。けがには注意してください!!」

「先生の授業は一つひとつが丁寧でいろんな解き方を色んな角度から見たやり方で説明してくれたのですごく親せつでわかりやすかったです。なにより、先生自身も私たち生徒と同じ立場に立って教えてくれているのがすごく伝わってきたのでより分かりやすかったです。」

「良いところ・教え方が丁寧!教科書に載ってないところとか教えてくれる。基礎から教えてくれるから分かりやすいし、頭に入りやすかった。真顔で面白いこと言うからウケたwけっこーためになる話があってよかった!悪いところ・そんなにないけど…。真顔だから逆に感情が伝わりにくかったかな…?先生らしくていいけど!」

「先生の授業はまずクラスの雰囲気が質問とか聞きやすい感じがして良かったと思います。あと説明も分かりやすくて良かったです。先生自体もおもしろかった。」

「数学の先生の中で一番先生が好きです(^∀^)毎日おもしろかった♪まじめで一生懸命だけどうちらのために笑わせてくれとるのがよく分かった(´v`)うざい生徒に合わせてくれてありがとう!一生先生のこと忘れないから、先生も忘れないでね。」

 これらのアンケート結果を見て、自分が教師になる前に目指していた「生徒の立場に立った数学の授業」は、自分で反省するよりはできていたのかもしれないと前向きにとらえ直すことができました。
 また、「社会人としてもっとまともな教師でなければならない」と思い込んでそのプレッシャーにしんどくなっていましたが、「変人であることに負い目を感じなくても良かったのかも知れない」と受け止め方を変えるきっかけにもなりました。

 このブログも、もともとは大学院生時代に書いていた「真理<戦略<好き嫌い」という別のブログで書いていたアイデアを、より洗練した形にまとめ直そうと思って始めたものです。
 当時は「正しさとは誰かの好みを広めるために編み出された戦略の一部に過ぎない」とするその内容が今後の職業生活を脅かすのではないかと恐れ、教師になる直前にそのブログは削除しました。

 ですが2年前から「変なおじさんを目指す教師」として採用され、非常勤講師というパートタイマーの待遇で数学を教えるようになったことで、こういったブログを発信していくことへの負い目が消し飛びました。
 これからも自分が長年こだわり抜いてきたテーマを追求していくことで、変なおじさんとしての矜持を示していきたいと思います。

 


※当ブログの主なテーマは、この世界を支配する「正しさ」という言葉のプロレスとの付き合い方。

http://mrbachikorn.hatenablog.com/entry/2014/03/12/175400
※そのプロレス的世界観を支えている「記述信仰」の実態を、簡単な図にしてまとめています。

http://mrbachikorn.hatenablog.com/entry/2014/07/06/051300