間違ってもいいから思いっきり(市井人の日曜研究)

私たち人間は、言葉で物事を考えている限り、あらゆるものを「是か非か」と格付けする乱暴な○×ゲームに絶えず影響されています。ここでは、万人が強制参加させられているこの言語ゲームを分析し、言葉の荒波に溺れてしまわないための知恵を模索していきます。

打算で夢を語るな

 2014月3月20日放送の深夜番組「アメトーーク!」にて、お笑い芸人の小籔千豊が「テレビに出てる人間が夢は叶うなんて軽々しく言って回るな」という持論を披露して注目を浴びました。
 インターネット上では「よくぞ言ってくれた」と評価する声もあれば、「今さらそんな説教聞きたくない」と非難する声も出ています。
 
 この話は「腹立つ芸人」として番組に呼ばれた小籔が、「自分だけのイライラポイント」というエピソードを聞かれた際に答えたもの。
 具体的にはどんな話だったのか、まずはこちらからご覧ください。

世の中には「夢は叶うんや」的な歌が多すぎて、これを撤廃して欲しい。
夢なんか、言うとくぞ子ども。
絶対叶わんからな。

アホな男が言いすぎなんですよ。
テレビ出とるスター、大金持ち、みんな夢叶っとるから言うとんねん。
稀やこんなん。

それを「夢は、叶います」とかテレビでええカッコして言うからアホな子どもは「ああ、そうなんや。夢叶うんや」と思って夢ばっかり追い求める。

雨上がり決死隊を指して)NSC7期、殆ど売れてない。
屍だらけ。
ということは、夢なんて叶わない。

サッカーの本田が小学校のとき「セリエAで10番とるんだ」と作文で書いた。
あの人は死ぬほど努力して、死ぬほど周りの人に助けてもらって、いろんな人から勝ち上がって、それでやっと夢叶ってんねん。

「基本、夢なんか叶わへん」
そうやってテレビの大人が言うとかんと。

社会なんてジャングルやから、サソリもおったら毒蛇もおる。
ホテルもなければコンビニもない。

そういったところに送りこまないかん大人側が、ジャングル行く前の子どもらに「ジャングルめっちゃええとこやで。凄い快適やで」って言ってたら、子どもは何の準備もせんとパンツと靴下だけもって「じゃあ行こか」ってなんねん。
ほんで実際に行くと「あっつ、ヘビおるやん、わたしこんなんイヤや」ってなって引きこもる。
当たり前や。
大人のせいやこれは。

だからジャングルという社会に子供らがいく前に、「ジャングルなんか死ぬほど暑いし、毒ばっかり。毒蛇、怪しい鳥ばかりで何にもないぞ。せやからホンマに努力して、自分を鍛えて、勉強して、いろんな準備をしてから社会に行けよ」こう言ったら頑張る。
それをアホみたいに「夢は叶うんや~♪」て。
アホか。

テレビ出てる人間は異常者ばっかり。
普通の人間は出れへん。
ヘンなヤツばっかり出てるから、こんなんマネすなよ。

夢なんかすぐ捨てい。
やりたくないことをやるのが社会。
それがジャングルや。

 この小籔の演説に対する反論として一番稚拙だったのは、「叶っている人がいるのならば絶対叶わないとは言えない」というものです。
 小籔自身も、夢が叶った人が存在すること自体は否定していませんし、「叶うはずのない夢を叶うと言うのは正しくない」という怒り方をしているわけではありません。

 小籔のイライラのポイントは、「あきらめなければ夢はきっと叶う」といった甘いメッセージが、影響を受けやすい子ども達に向けてあまりにも無造作に垂れ流されている現状にあります。
 メディアや成功者に「夢は叶う」とそそのかされて都会に出てきた挙げ句、社会というジャングルに潰されていった犠牲者をこれまで嫌というほど見てきたのではないでしょうか。

 「絶対叶わなん」「基本、夢なんか叶わん」などと極端な言い方を選んだのは、「夢は叶う」と安易に言い過ぎる世の中の軽々しい風潮に敢えて逆らってバランスを取るためでしょう。
 言葉尻をとらえて「その言い方は正しくない」などとあら探しに終始するだけの言語観は、○か×かをジャッジすることでしか世界をとらえられない子どもの見方と言えます。

 そもそも言葉の役割とは、物事を正しく言い表すことなんかではなく、人の心を説得することです。
 そういった意味で、「正しいか正しくないか」ではなく「子ども達をどう説得していくべきか」という視点で反論していた以下のような言い分は、先程の反論よりはまだマシです。

「夢や希望がなければ未来へのモチベーションが持てないだろう」
「夢が叶った人すら叶わないと言ったら、ますます努力する人がいなくなる」
「死ぬほど努力すれば夢が叶うときもある。でもはじめから夢は叶わないなんて思っていたら死ぬほど努力するだろうか」

 これらの反論を見て私が思うのは、誰かに「夢は叶う」と後押ししてもらわなければ人は「夢」とやらを持てないのだろうかという根本的な疑問です。
 小籔が怒っていたのは、「あきらめなければ夢は叶うと言われているから夢を持とう」という程度の思いで軽々しく抱かれる夢が増殖している世の中の状況。
 そのおかげかビシネス書やセミナーなどの自己啓発産業・スピリチュアル産業は大儲けです。

 不満な現状から逃げるために「夢」を口実に使っているだけの人や、「イメージさえすれば魔法のように夢が実現できる」と錯覚する人が、これ以上増えていかないで欲しいという小籔の問題意識については、私は真っ当なものだと感じます。
 「持ち続ければ叶うから」という安易な打算で後付けされた夢など、小籔の言うように容易く崩れてしまうでしょう。

 「叶う」とか「叶わない」とかそんな外野の声とは無関係に、誰にも真似できないぐらい熱中できる何かを見つけて、それに打ち込んでいるうちに気づくと目の前に現れているもの。
 それこそを人は「夢」と呼ぶのではないでしょうか。


※当ブログの主なテーマは、この世界を支配する「正しさ」という言葉のプロレスとの付き合い方。

http://mrbachikorn.hatenablog.com/entry/2014/03/12/175400
※そのプロレス的世界観を支えている「記述信仰」の実態を、簡単な図にしてまとめています。

http://mrbachikorn.hatenablog.com/entry/2014/07/06/051300