言葉とは、私たちの脳に無数の思い込みを書き込んでいく暗示プログラムのようなもの。
自覚なく不用意に植え付けられた浅はかな思い込みは、人々の生き方を無闇に縛りつけてしまいます。
そうした刷り込みの影響力を当たり前に考慮に入れて全ての言動と付き合うという態度を、成熟した大人の当たり前のマナーとして世の中に登録させていきたい。
「間違ってもいいから思いっきり」というこのブログは、そんな目的意識からスタートしました。
そして、私の目指すところと対極に位置しているのが、巷にはびこる潜在意識ビジネスです。
このビジネスの売りは「潜在意識さえ上手く扱えばどうにでもできる」といった幼稚な万能感。
その様子はまるで、出来杉くんになれないのび太に対して、いつでも助けてくれるドラえもんを斡旋するようなものです。
ですが、潜在意識ビジネスに登場する胡散臭いテクニックの数々は、何でも解決できる秘密道具ではありません。
彼らは言葉巧みに「問題解決に近付いているような錯覚」を生み出して、ドラえもんのような万能感を演出しているだけ。
現実逃避したがる人々の心に目眩ましの納得を提供することで、潜在意識という教えの信者を増やしているのです。
潜在意識ビジネスの言う「暗示を利用したコントロール」とは、喩えて言うならば乱暴な気象操作のようなもの。
核ミサイルを打ち込んで雨雲を消し飛ばせば、確かに雨は一時的に止んでくれるでしょう。
だからといって、雨雲ができるメカニズム自体を壊したわけではないので、いずれは雲がやってきてまた雨がふります。
山々を破壊するなどして雨雲ができにくい地形にするなどの手段もあるかもしれませんが、雨を降らせなくしてしまうことで出てくる悪影響を全て予測することは不可能です。
「潜在意識をコントロールする」という安易な発想も、この不毛な気象操作のアイデアと似たようなものです。
暗示や催眠のテクニックを利用することで一時はのび太たちを感心させられるかもしれませんが、その効果を持続するには雨雲を吹き飛ばす核ミサイルの安定供給が必要となります。
人の精神活動も、気象現象と同じようにさまざまな要因が絡み合って予想外の結果を織り成していく複雑系の事象です。
雨や曇りや晴れを思い通りに操ることができないように、人の心の全てを思い通りに操ることはできません。
私たちにできることは、その予測不能でコントロールしきれない変動の仕組みを謙虚に探り、そこで得られたわずかな予測や操作のノウハウを元に各々の生き方をつたなく模索することだけ。
できないことをできると言って幼稚な野心を煽るのはもう止めにしませんか。
そもそも、潜在意識とか無意識といった概念は、私たち人間が掌握できている精神活動の領域がちっぽけなものでしかないことを分かりやすく伝えるための方便です。
幼稚な野心家たちは「潜在意識さえ上手く扱えばどうにでもできる」と信じたがりますが、こんな悪用をされたのでは提唱者のフロイトもたまったものではありません。
私が思う無意識や潜在意識といった概念の存在意義とは、未知の存在と向き合う際に必要となる慎重さと謙虚さを自分自身にも向けることであり、「人間は自分の行動を理性的にコントロールできるはず」という勘違いと慢心をたしなめること。
そのような成熟した大人の態度が、世の中にもっと広まってくれたらと願うばかりです。
※当ブログの主なテーマは、この世界を支配する「正しさ」という言葉のプロレスとの付き合い方。
http://mrbachikorn.hatenablog.com/entry/2014/03/12/175400
※そのプロレス的世界観を支えている「記述信仰」の実態を、簡単な図にしてまとめています。