間違ってもいいから思いっきり

私たち人間は、言葉で物事を考えている限り、あらゆるものを「是か非か」と格付けする乱暴な○×ゲームに絶えず影響されています。ここでは、万人が強制参加させられているこの言語ゲームを分析し、言葉の荒波に溺れてしまわないための知恵を模索していきます。

流行と常識と思想

13歳で結婚。14歳で出産。恋は、まだ知らない。

 これは、途上国の子どもに教育を与えていこうと活動している国際NGO「プラン」の日本支部による、「Because I am a Girl」という啓蒙キャンペーンの広告です。
 このキャッチコピーを見て、あなたは何を感じとるでしょうか。

 素直に共感して「世界にはここまで人権を無視した風習がいまだに残っているのか」と問題意識を持つ人もいれば、民族固有の伝統や文化を尊重できない一方的な価値観の押し付けだと反発を感じる人もいるでしょう。
 ここに、インターネット上で表明されていた反感の声の一部を紹介してみたいと思います。

「この文化は間違ってる」と言いたいのか
何の特権があって線引きしているのか
文化・伝統の全否定を訴えているのか
先進国の価値観を基準に断罪して文化的圧力をかけるのが目的なのか

恋愛至上主義って気持ち悪い
恋愛結婚を理想と崇めて晩婚化・非婚化した社会と、こういった伝統社会とを比べると相対的にはどちらが幸福なんだろうか

一方的な価値観で他国の伝統文化を侮辱するな
異なる文化圏に自分たちの人権意識を持っていって「あなたたちは不幸だ」と吹き込むのは余計なお世話だ

生物として何も間違ってない
むしろ近代教育による先進国の晩婚化や高齢出産の傾向の方が生物としては異常だろう

 そもそも世界の見え方は立場や視点によって異なるものです。
 まるで「自立した個の概念が確立されていない前近代的な価値観は未熟で野蛮だ」と見下すかのような態度は、先進国特有の自文化中心主義的な思い上がりに過ぎません。

 ですが、それぞれの立場の在り方を尊重しようとするものの捉え方は、20世紀前半までそれほどメジャーな言い分ではありませんでした。 
 それが今ではごく普通の理想論として庶民の間でも市民権を得ており、人々の会話やテレビ番組での討論、そしてインターネットの書き込みなどでも頻繁に見られる態度となっています。 

 この新しい常識を世に広めていったのが、フランスの文化人類学クロード・レヴィ=ストロースです。
 レヴィ=ストロース以前の言論の状況については、内田樹がその著書『寝ながら学べる構造主義』の中で端的に説明しています。 

寝ながら学べる構造主義 (文春新書)

寝ながら学べる構造主義 (文春新書)

 

 1950年代のアルジェリア戦争のとき、ジャン=ポール・サルトルは「フランスの帝国主義的なアルジェリア支配」をきびしく断罪しました。
サルトルが「フランス人のものの見方」を相対化したことは確かです。

しかし、サルトルは「アルジェリア人民の民族解放の戦いは断固正しい」と言ったわけであって、フランス政府の言い分にもひとしく配慮したわけではありません。
国際的紛争においては、抗争している当事者のうちどちらか一方に「絶対的正義」があるはずだ、というのがその時代の「常識」であり、その「常識」はサルトルにおいても、少しも疑われてはいませんでした。

この時期に「フランスとアルジェリアの言い分のいずれが正しいかは、私には判定できない。どちらにも一理あるし、どちらも間違っている……」と正直に語ったフランス知識人は、私の知る限り、アルベール・カミュただ一人でした。
そしてカミュはこのときほとんど孤立無援だったのです。 

 と、こうした言論における世界情勢を変えるべく、レヴィ=ストロースは『野生の思考』という著書の中で、当事主流だったサルトル実存主義思想を痛烈に批判しました。
 批判の論拠となる『野生の思考』を分析するにあたって、彼は群論という現代数学の成果を活用しています。

 数学というと、一般的には数値計算や数式が出てくる理系分野のものと思われがち。
 実際、数学が使われている学問も、自然科学や経済学、コンピュータサイエンスなど数値に換算できるジャンルがメインです。

 ですが19世紀以降、これまでの数学をより広い視点から見つめ直す「群論」という手法が導入され、「数以外の抽象概念も扱える数学」が誕生しました。
 そして、それまで数学とは無縁だった人文科学の領域に、こうした群論の考え方をセンセーショナルに持ち込んだのがレヴィ=ストロースだったのです。

 近代科学や西洋哲学における「人類の進歩を目指す」という価値観は、人類にとって普遍的なものではなくヨーロッパ文化圏における民族的奇習に過ぎないのではないか。
 そう疑っていた彼は「未開人」と呼ばれていた人々とともに生活しながら彼らの風習を学び、そこに西洋的価値観とは異なる知の構造が秘められていることを発表しました。

 たとえば、南北アメリカやオーストラリアの先住民などには、婚姻に関する複雑な規則が存在することが知られています。
 オーストラリア先住民のカリエラ族社会では、人々はバナカ、カリメラ、ブルン、パリエリという4つの姻族に分けられており、カリメラはパリエリと、バナカはブルンとしか結婚できないというルールがあります。
 そして、ブルンを母とする子はパリエリ、バナカを母とする子はカリメラ、パリエリを母とする子はブルン、カリメラを母とする子はバナカとなり、部族内での血縁関係は片寄ることなく巡り巡っていきます。

 「自立した個の確立」に執着する近代的な価値観からすれば、生まれながらに4分の3のグループとは決して結婚できないと定められているこの制約は、理不尽で無根拠な風習としか映らないでしょう。
 しかし、この婚姻による子の所属の変換を代数的な演算として捉えると、クラインの4元群という群論上の分類に合致することがわかります。

 レヴィ=ストロースは「未開人」の生活様式に現れる群構造を他にも多数発見しており、それらの構造を分析して『親族の基本構造』『構造人類学』『神話論理』などの著書を発表しました。
 これらの構造分析の目的は、「未開人は知性が未発達で合理的な思考ができない」と見下す進歩主義的な偏見の払拭にありました。
 彼らの有する合理的な知性の在り方を記した『野生の思考』において、レヴィ=ストロースは以下のように語っています。 

野生の思考

野生の思考

 

 私にとって「野生の思考」とは、野蛮人の思考でもなければ未開人類もしくは原始人類の思考でもない。
効率を昴めるために栽培種化されたり家畜化された思考とは異なる、野生状態の思考である。

いかなる時代、いかなる地域においても、「野蛮人」が、いままで人が好んで想像してきたように、動物的状況をやっと脱したばかりで今なお欲求と本能に支配されっぱなしの存在であったことは、おそらくけっしてないのである。

 このように彼らなりの合理性を踏まえた上で、自分の文化を基準に異文化を見下す傾向に関しては、「家畜化された文明人」も「野生の未開人」も五十歩百歩だと諭します。

どの文明も、自己の思考の客観性志向を過大評価する傾向をもつ。
それはすなわち、この志向がどの文明にも必ず存在するということである。

われわれが、野蛮人はもっぱら生理的経済的欲求に支配されていると思い込む誤ちを犯すとき、われわれは、野蛮人の方も同じ批判をわれわれに向けていることや、また野蛮人にとっては彼らの知識欲の方がわれわれの知識欲より均衡のとれたものだと思われていることに注意をしていない。

 そして最終章では、自らの属するヨーロッパ的知性に過大な自信を有しているサルトルの態度を、「目くそ鼻くそを笑う」ものだとして以下のように痛烈に批判しました。

サルトルはときに二つの弁証法を区別しようとしているように思われる。
すなわち、歴史ある社会の弁証法である「真の」弁証法と、いわゆる未開社会に彼が認めながらも、生物学のすぐそばに位置づける反復的でかつ短期の弁証法とである。

それらの社会にせよわれわれの社会にせよ、歴史的地理的にさまざまな数多の存在様式のどれかただ一つだけに人間のすべてがひそんでいるのだと信ずるには、よほどの自己中心主義と素朴単純さが必要である。

サルトルが世界と人間に向けているまなざしは、『閉じられた社会』とこれまで呼ばれてきたものに固有の狭隘さを示している。

サルトルの哲学のうちには野生の思考のこれらのあらゆる特徴が見いだされる。
それゆえにサルトルには野生の思考を査定する資格はないと私たちには思われるのである。

逆に、民俗学者にとって、サルトルの哲学は第一級の民族誌的資料である。
私たちの時代の神話がどのようなものかを知りたければ、これを研究することが不可欠であるだろう。

 電車の中で「13歳で結婚。14歳で出産。恋は、まだ知らない。」という広告を見たとき、そのキャッチコピーの持つ自文化中心主義的な作為に私は胸くそが悪くなりました。
 ですが、インターネット検索によって同様の意見を持つ人が大勢いてくれることを知り、ほっと一安心することができました。

 レヴィ=ストロースがその100年の生涯を終えて今年で5年。
 彼が残していった偉大な業績には、いくら感謝してもしきれません。


※当ブログの主なテーマは、この世界を支配する「正しさ」という言葉のプロレスとの付き合い方。

http://mrbachikorn.hatenablog.com/entry/2014/03/12/175400
※そのプロレス的世界観を支えている「記述信仰」の実態を、簡単な図にしてまとめています。

http://mrbachikorn.hatenablog.com/entry/2014/07/06/051300