当ブログのテーマは、良くも悪くも私たちの生き方を振り回してしまう言葉の影響力。
私たちの印象を左右し、行動の方針を説得し、ものの見方を刷り込み、気付かないうちに私たちを洗脳していくのが言葉です。
だからと言って、囚われを何もかも捨てようとか、言葉を使わずに考えようだとか、全ての刷り込みや洗脳から抜け出そうといった夢物語を目指しているわけではありません。
私の目標は、無自覚のうちに自分が無数の言葉たちに影響されてしまっていることを謙虚に受け止める習慣を広め、「自分を理性的に制御する」といった身の程知らずな目標に挫折して傷付く人を減らしていくことです。
世の中には「こうすれば刷り込みや洗脳をすっかり打ち破って望み通りに生きられる」といった甘い言葉もゴロゴロと転がっています。
しかし、脱洗脳とはただ単に再洗脳の言い替えに過ぎません。
そんな言葉の影響力によって「おかげで全ての洗脳や刷り込みから脱出できた」とか「素直に従えない人は余計な先入観を刷り込まれているからだ」といった、「目覚めの方法」を絶対視する新たな洗脳が生まれることになります。
http://mrbachikorn.hatenablog.com/entry/2014/05/29/064500
こういった話題で必ず槍玉に挙がるのが宗教です。
そして宗教からの「目覚めの方法」として、近代以降もっとも影響力を持っていたのが「科学的なものの見方」です。
ですが現代になって「科学的なものの見方」も一つの偏見に過ぎないという考え方が広まってきました。
その副作用として「これまでの科学的偏見からの脱洗脳」を自称する、カルト宗教やスピリチュアルや疑似科学といった勢力も続々と登場しています。
http://mrbachikorn.hatenablog.com/entry/2014/05/31/064300
どの勢力が本当の「目覚めの方法」なのかといった小競り合いに大した意味はありません。
言葉を使って生きている限り、他人を洗脳しないことも自分が洗脳されないことも不可能。
私たち人間はもともと、言葉によるお互いへの洗脳によって右往左往し合う生き物なのです。
http://mrbachikorn.hatenablog.com/entry/2014/03/31/200500
もちろん私のこうした文章も、読者の皆さんへの洗脳と言うことができます。
世の中に溢れている無数の刷り込みの言葉のうち、どの洗脳を取り入れてどの洗脳を遮断するかは、読んでいる皆さん次第。
私には「真実に目覚めよ」といった類いの洗脳を施すつもりは毛ほどもありません。
もし仮にあなたが「絶対に洗脳ではない」と言い切れる言論と出会ったら、今から述べる検証作業を一度試してみてください。
その言論に、あなたを「これは絶対に洗脳ではない、正しい言い分だ!」と思わせられるだけの洗脳力があったから、あなたが今そう思ってるだけではないのか。
※当ブログの主なテーマは、この世界を支配する「正しさ」という言葉のプロレスとの付き合い方。
http://mrbachikorn.hatenablog.com/entry/2014/03/12/175400
※そのプロレス的世界観を支えている「記述信仰」の実態を、簡単な図にしてまとめています。