間違ってもいいから思いっきり

私たち人間は、言葉で物事を考えている限り、あらゆるものを「是か非か」と格付けする乱暴な○×ゲームに絶えず影響されています。ここでは、万人が強制参加させられているこの言語ゲームを分析し、言葉の荒波に溺れてしまわないための知恵を模索していきます。

立憲主義か封建主義か


 2014年7月1日、日本の安倍内閣は集団的自衛権に関する憲法解釈の変更を閣議決定しました。
 この話題について語る人々を1ヶ月近く観察してきましたが、「憲法の解釈を閣議決定で変更するのは民主主義の原則に反する」といった論調を見るたびに「この人たちは中学校で何を勉強してきたんだろうか」という疑問が拭えませんでした。

 中学校の社会科では、日本の統治機構は立法・行政・司法の三権分立で成立していると習います。
 国民が選挙で選んだ国会議員たちが法律を決定し、内閣はその法律に従って政治を行い、裁判所は法律や憲法が守られているかどうかというジャッジを行います。 

 この三すくみを、立法の手続きに注目して見てみましょう。
 現行の日本の法律では、内閣と国会議員とが法案を提出することができ、国会の多数決で過半数を獲得すればその案は新しい法律として採用されます。 
 そして裁判所には、国会で成立した法律が憲法に反していないかどうかを審査するという大事な役割が与えられています。

 この発案、決議、違憲審査という立法の手続きの中で、発案する人も決定する人も審査する人も、各プレイヤーがそれぞれの憲法解釈を持っていることでしょう。
 でも、最終的に違憲か合憲かを判断する権限を持つのは裁判所ですから、発案者や決定者がいくら合憲だと解釈した法案であっても、裁判所の解釈が違憲であればせっかく通った法律も覆ってしまいます。

 逆説的に言うならば、立法における発案者に過ぎない内閣がどんな憲法解釈をしていようとそもそも自由なはずです。
 内閣の憲法解釈は内閣が発案する法律の中身に関わるだけであって、原則的にそれ以降の決議や違憲審査には何の強制力もないんですから。
 つまり、内閣が閣議決定によって変更したのは内閣が法案を作る際の指針としての憲法解釈であって、裁判所が行うべき違憲判断の基準を勝手に変更したわけではないのです。
 
 誤解して欲しくないのですが、私の立場は別に賛成派でも反対派でもありませんし、だからと言ってただの冷やかしでもありません。
 この件に関する私の主張は、「集団的自衛権は是か非か」というふわっとした問いの立て方自体がそもそもどうでも良いというものです。
 日本は曲がりなりにも法治国家なんですから、集団的自衛権というくくりの曖昧な概念についてああだこうだと扇動し合うのではなく、一つ一つの法律の妥当性について具体的に議論を深めていくというのが本来あるべき姿ではないでしょうか。

 7月1日の閣議決定以降、こうした的外れな論調を諫める識者はいないものかとインターネットで検索を繰り返していましたが、先週になってようやくほぼ同意見の識者を発見することができました。
 News week日本版でコラム連載をしている冷泉彰彦というアメリカ在住の作家が、6月19日の時点で以下のような記事をアップしていたのです。

『何度聞いても分からない「解釈改憲」反対論』

集団的自衛権の議論が本格化しています。
この問題に関しては、現時点では私は合憲化には反対です。

~中略~

その一方で、現在盛んになっている「解釈改憲」反対論に関しては、反対ということでは一致している私ですが、何度聞いても分からないところがあります。

というのは、現在盛り上がっている反対運動では、安倍内閣が「憲法解釈の変更を閣議決定」するのは「民主的手続きを経ない改憲」だから阻止したいという主旨のものが多いからです。
もっと言えば、安倍政権の姿勢が「立憲主義に反する」というのです。

まず、私はこの「立憲主義に反する」というのが良く分かりません。
というのは、安倍政権は、現在の日本国憲法の規定を超越し、事実上憲法の規定を踏みにじるような行為を行っているとは思えないからです。

何故ならば、日本国憲法では、内閣には勝手に憲法解釈を変更して、実質的な改憲を行うような権限は与えられていないからです。
つまり、内閣が内閣法制局長官の立案に従って閣議決定するというのは、行政府が行政府としての憲法解釈をしたということ「以上でも以下でもない」のです。
国家権力を構成する三権分立の中の一つの機関である「行政府」が「勝手にそう思いました」と言うだけです。

その際に内閣法制局長官に大きな権限があるように思われていますが、この内閣法制局長官というのは、いわば内閣の顧問弁護士とか、法律アドバイザーに過ぎないわけです。
また、閣議決定というのは、あくまで内閣として「決定しました」ということだけです。

これは、ブラック企業が自分に都合の良いことを言う顧問弁護士を雇って「この従業員の解雇は合法だ」という解釈を表明しているのと何ら変わりません。
要は当事者の一方がそう言っているということだけです。

この場合は、その解雇が合法であるかどうかは、裁判所の判断に委ねられるのですが、今回の場合は憲法解釈ですから、少し手続きが異なります。

一つは、内閣が「自分の解釈に従って」関連法案を提出した場合に、それが国会という立法府の審査を経るということです。
そこで可決成立すれば、事実上の「解釈改憲」に近づくわけですが、その際には民意の反映ということが重要ですから、大いに反対運動をしたらいいのです。

もう一つは、最高裁です。
仮に法律が成立したとしても、最高裁違憲だと判断すれば、その法律は事実上無効になり、内閣の企図した解釈変更も無効になります。
最高裁は、明治以来の歴史の中で民意からは「超然」としていましたが、そうは言っていられない時代です。
この段階でも大いに反対運動をして違憲審査を勢いづけることは可能と思います。

日本国憲法に規定されているのは、そのような「三権分立」によるチェックです。
それを、「閣議決定されたら立憲主義の終わり」だというような勢いで批判するというのは、要するに日本国憲法を信じていないということになります。

日本国憲法を信じていない人が、憲法を守れと叫んでいること自体が「大いなる矛盾」であるわけですが、別の言い方をすれば「反対」を叫べば叫ぶほど、「内閣に事実上の解釈改憲の権限がある」ということを「確認」することになっているわけです。

これは大変なパラドックスだと思うのですが、どうしてこの種の議論が起きないのでしょうか?

勿論、今の国会では「ねじれ」が解消されているので、立法府と言っても独立性が薄いとか、最高裁判事への国民審査制度が事実上機能していないなど、司法権の独立性にも疑問があるのは事実です。

だったら、「立憲主義」を脆弱なものにしているのは、そちらの方であるわけです。
例えば国会では首班指名以外の党議拘束をやめるとか、最高裁判事の国民審査には「罷免運動」を認めるとか、少なくとも各判事が2回の審査を受けるように初任年齢を下げるとか、「三権分立」を強化する方向での「解釈改憲」をやったらいいのです。
このような改革であれば、条文改正をしないでも可能です。

まさか、護憲派というのは、日本国憲法は「不磨の大典」であるから自分たちが「解釈改憲」をするのは畏れ多いと思っているのでしょうか?

「そうではない、自分たちは保守派政権のやることを理屈抜きに反対したい。それはロジックではなく情念なのだ」というのなら、まだ理解できます。
ですが、そうではなくて反対派の人々が大まじめに「私は内閣に解釈改憲の権限があると信じているので、安倍首相に改憲をしないように懇願している」(要するにそういうことです)構図、それが「立憲主義」だというのは、どうしても理解ができません。

 このように冷泉彰彦は、立憲主義日本国憲法を信じていない反対派たちこそが「内閣に事実上の解釈改憲の権限がある」という思い込みで的外れな暴論を叫んでいると指摘しています。   
 これは集団的自衛権がどうのという以前のはるかに根本的な問題。
 要は、我々日本人のメンタリティが封建時代の「お上に従わされるだけの臣民」からさほど変わっていないということですから。

 内閣の主な仕事は第一に、法律に従って「①政治を行うこと」ですが、法律を決定する場である国会に「②法案を提出できる」という権限も持っています。
 そして多くの反対派の論点のズレは、「憲法解釈」という言葉を①の枠で見ているのか、②の枠で見ているのかという違いにあります。

 私は(そしておそらく冷泉氏も)②の枠で「憲法解釈」と いう言葉をとらえています。
 「憲法解釈変更は立憲主義に反する」と主張される方は①の枠で「憲法解釈」という言葉をとらえており、内閣が「憲法解釈を変更した」と宣言した途端に「従来許されていなかった政治を始める」といったミスリードを誘っているようにみえます。

 ですが実際には、新解釈による新しい法案が可決しなければ従来法で許されていなかった政治を行うことはできないはずですし、現政府もその建前をなし崩しにして超法規的な行政をしようとはしていません。
 内閣がどのように憲法解釈に基づいて法案を出そうとも、それを決める権限は立法府である国会にあり、決まった法律に違憲判断を下す権限は司法府である裁判所にあるため、行政府である内閣が勝手な解釈で政治を行える仕組みにはなっていないのです。

 冷泉氏は別に現内閣を擁護しているのではなく、責任ある国民として反対運動を盛り上げるなどして、三権分立の仕組みにのっとって立法や司法に圧力をかければよいと訴えています。
 彼はそうした「筋の通った反対運動」を行うにあたって、「現政府は恣意的な解釈による超法規的な行政をしている」という風に的外れな言いがかりを付ける人間が仲間内にいるのは上手くないと感じているのでしょう。

 このように、日本には立憲主義を成り立たせるための日本国憲法というお膳立てが整っているはずですが、多くの日本人は「国家の主権を担う」という民主主義ゲームへの参加意識が希薄です。
 ですから現状の日本は、「逆らえないお上」としての政府に対してクレームだけは言いながらも、お上が好き勝手にやることを実質的には認めてしまっている社会なわけです。

 安倍政権が「集団的自衛権がどうの」といかにも批判を浴びそうなことをわざわざ閣議決定までして大袈裟に発表して見せたのは、その種の国民の勝手な勘違いを引き出すためとも言えるのではないでしょうか。
 その狙いが当たったのか、閣議決定翌日の各紙を比較してみたところ、内閣に「お上としての権限」を認めてしまっている論調が数多くみられました。
 中でも極端だった朝日新聞の記事の一部を紹介してみましょう。

第2次世界大戦での多くの犠牲と反省の上に立ち、平和国家の歩みを続け、「専守防衛」に徹してきた日本が直接攻撃されていなくても他国の戦争に加わることができる国に大きく転換した日となった。
国会に諮ることも、国民の意思を改めて問うこともなく、海外での武力行使に道が開かれた。

 何の法律も成立していないこの時点では、法治国家としては方針転換もまだできてないし武力行使の道もまだ開かれていないはずなのに、この書き方では逆にただの閣議決定に過大な権限を認めてしまっています。  
 反対派のこうした言いがかりは、賛成派や保守派政権にとってはむしろ好都合。
 こういった「お上へのクレーム」としての物言いが溢れることで、日本人からは国民主権の意識が削がれ、世間からの注目や投票率も下がって、結果的に政府の好き勝手が叶うのですから。

 賛成派として、こうした勘違いを逆に利用していたのが産経新聞です。
 この日の閣議決定は内閣の発案方針の変更に過ぎないはずですが、産経新聞は以下のような書き方で「日本の憲法運用のあり方すべてが変わった」と読ませるミスリードを誘っています。

政府は1日の臨時閣議で、従来の憲法解釈を変更して限定的に集団的自衛権の行使を容認することを決定した。
閣議決定によって、長らく日本の安全保障政策を覆っていた「集団的自衛権」という"呪縛"から解き放たれた。
その意義は大きい。

 的外れなクレームを振りかざす反対派に対し、下手に立憲主義に目覚めて投票率を上げられたら困ると思っている人々は、「ただのクレームで済むのなら好きなだけ言わせておけ」などとほくそえんでいることでしょう。
 この国のお粗末な民主主義の実態を把握しているであろうThe Japan Times紙は、「Abe wins battle broaden defense policy」と書いて安倍政権の実質的な勝利を報じていました。
 読売新聞も、以下のようにバランスのとれた記事を装いながらも、密かなミスリードを誘っています。

今後、法整備が進めば、自衛隊の権限と活動範囲は広がる。
自衛隊をどう使うのか政府の責任は増す。
批判のための批判に堕することなく、報道機関としてチェックする役割を果たしていきたい。

 私が気になるのは、この「法整備が進めば」という軽い書き方では、「正式な立法の手続きよりも内閣の閣議決定の方が一大事」といった印象を与え兼ねないということです。
 読売新聞に限らず、「個別法」「法整備」といった軽い言葉づかいで「法律よりも内閣の憲法解釈の方が重い」という印象を振り撒いている論者たちは皆、「結局お上の決定にはかなわない」という封建的な臣民根性を刷り込んでしまっているのです。

 そもそも法治国家の一大事であるはずの「法整備」は、一内閣の閣議決定なんかよりはるかに重要な出来事です。
 もし日本にまともな立憲主義を根付かせたいのなら「日本を戦争のできる国にする気か」とか「隣人も守れない国が一人前と呼べるか」といった乱暴な総括論に終始するのではなく、「個別法」の具体的な内容を一つ一つ検討していくという着実な発信をしていく必要があります。
 そんな地味で大変なことをしても大衆には伝わらないからしないと言うのであれば、その論者はまともな立憲主義よりも単純でキャッチーな扇動の方を優先しているんでしょうね。

※当ブログの主なテーマは、この世界を支配する「正しさ」という言葉のプロレスとの付き合い方。

http://mrbachikorn.hatenablog.com/entry/2014/03/12/175400
※そのプロレス的世界観を支えている「記述信仰」の実態を、簡単な図にしてまとめています。

http://mrbachikorn.hatenablog.com/entry/2014/07/06/051300