間違ってもいいから思いっきり(市井人の日曜研究)

私たち人間は、言葉で物事を考えている限り、あらゆるものを「是か非か」と格付けする乱暴な○×ゲームに絶えず影響されています。ここでは、万人が強制参加させられているこの言語ゲームを分析し、言葉の荒波に溺れてしまわないための知恵を模索していきます。

内田樹と私

 私が内田樹の文章と初めて出会ったのは、大学院生だった2005年の夏。
 彼は2005年5月3日に投稿した「憲法記念日なので憲法について」というブログ記事の中で、トリッキーな独自の護憲論を展開していました。

http://blog.tatsuru.com/archives/000961.php
 
 『ためらいの倫理学』や『9条どうでしょう』といった著書をもとに彼の護憲論をざっくりとまとめると、「戦争放棄を謳う憲法9条も、明白な武力でしかない自衛隊の存在も、どちらも現状維持でよろしい」という結論になります。
 それは、日本が「武力を持ってはいるが自由に行使できない」というジレンマの中に置かれていたこと自体が、日本に何十年にもわたる情勢の安定をもたらしてきたと解釈しているから。
 完全なる非武装よりも、自由度の高い武力よりも、中途半端で不自由な武力を保持する現状の方が相対的には平和の維持に繋がると信じているので、彼は「ジレンマは解消しなくて良い」という自説を堂々と訴えているのです。

ためらいの倫理学―戦争・性・物語 (角川文庫)

ためらいの倫理学―戦争・性・物語 (角川文庫)


9条どうでしょう (ちくま文庫)

9条どうでしょう (ちくま文庫)


 
 憲法9条の理念に反するからと自衛隊の存在に難癖をつけたがる左派も、自衛隊の存在に整合性を持たせるために憲法9条を改正すべきだと唱える右派も、彼にしてみれば「理屈の上での正しさ」だけに執着し過ぎているという意味で同じ穴のムジナ。
 日本をアメリカの実質的な属国とみなせば、アメリカにとって無害であるための平和憲法もアメリカにとって有益であるための自衛隊も、どちらも矛盾なく両立します。
 そんな属国的状況はプライドが許さないからと「完全なる非武装」や「自由度の高い武力」を要求している人々は、一人前の国家として筋を通すことにこだわり過ぎる余り、現状の妥協的な平和を崩しかねないというのが内田樹の危惧でした。
 
 内田樹を支持する人の中には、護憲論を強化するための武器として彼の巧妙な方便に乗っかりたいだけの結論ありきな党派人間もいるようですが、私はそれとは別の理由から彼の言動をフォローするようになりました。
 私が内田樹を心の師と仰ぐようになったのは、彼の言動には「それが正しいかどうかなんてことよりも望む効果があるかどうかの方が大事でしょ」というプラグマティックな信念が徹底されていたからです。
 このことは『街場の教育論』という著書にある以下の文章からも伺えます。
街場の教育論

街場の教育論


 
必要なのは「あるべき社会」についての「正しい情報」ではありません(あるべき社会についての本当に「正しい情報」というのは、「そんなものはかつて存在したことがないし、これからも存在しない」です)。
そうではなくて、「あるべき社会」を構築「する気」に私たちがなるかどうか、です。
「正しい情報」を提供することが、人間の世の中を少しでも住みよくする努力に「水を差す」ことになるならば、「正しい情報」なんか豚に食わせろ。
少なくとも私はそう考えます。
 
 内田樹は、学者として専門の世界だけに閉じこもることを良しとせず、世の中を住みよくするための具体的な発信に本気で注力しています。
 ですから彼は、学術的な中立性や厳密性にはさほどこだわることなく、必要とあれば専門外のジャンルにまで首を突っ込んでラディカルで大胆な推論を次々と繰り出していきます。
 
 科学の存在意義は、真実を解明するという机上の茶番にあるのではなく、私たちにとっての世界を変えていく具体的な発信にあります。
 学術的な厳密性とか中立性といった正しさの基準に意味があるのは、その流儀に従った方が発信力が高まるときのみ。
 レヴィ=ストロースは、哲学という学術的な蛸壺の世界を見限ってアマゾンの奥地で人類学者としてのフィールドワークを始め、構造主義者として西洋哲学や近代科学のものの見方に特権的な正当性はないとする『野生の思考』を著すことで世界に絶大な影響を与えました。

mrbachikorn.hatenablog.com

 
 内田樹が重視するのも、こうした発信による世の中への影響力。
 大胆過ぎる彼の断言の揚げ足をとったり非難の声を浴びせたりする人たちは大勢いますが、世の中を住みよくしていくための発信に忙しい彼は「正しいかどうか」という言葉の上でのフィクションを真に受けているだけの批判者の言うことなどそもそも相手にしていません。
 19歳の頃から7年以上「言葉は物事を言い当てるためにある」という世間の固定観念の欺瞞と向き合ってきた当時の私にとって、パブリックな言論の場で「言葉尻の整合性なんて小さな問題だ」と言ってしまっても発言力を保っていられる彼は見習うべき大先輩だったのです。

mrbachikorn.hatenablog.com

 
 私が見習っているのは「言葉は影響を与えるためのものだ」と割り切って、そのことを隠そうともせず堂々と発信していくことで説得力を生んでいく彼の言論のスタイル。

mrbachikorn.hatenablog.com
 逆に言うと、見習っているのは発信の姿勢やスタイルの方であって、彼が発信する内容すべてに賛同しているわけではありません。

 例えば彼は「政府解釈の恣意的な変更をもって集団的自衛権の行使を可能とする今回の閣議決定に反対」だと主張する立憲デモクラシーの会の呼びかけ人の一人を務めており、安部政権が行った憲法解釈変更の閣議決定についてはTwitterで以下のように述べています。

2014年7月1日は日本が自滅への道へ大きく踏み出した歴史的な日付として記憶されることになるでしょう。
これから集団的自衛権発動のための法整備が始まるはずですが、国会にどこまで抵抗ができるのか。
ほとんど期待できないというのが率直なところです。

 この件に関して私は前回の記事で、内閣が内閣自身の憲法解釈を変更すること自体は民主主義の原則に何ら反しておらず、反対派は国会での審議や裁判所の違憲判断に影響を及ぼすような反対運動を正々堂々とやったら良いとする冷泉彰彦の見解を紹介しました。  
http://m.newsweekjapan.jp/reizei/2014/06/post-656_1.php
 立憲デモクラシーの会にも法律家たちが集まっていますので、安部政権のやり方が明文化された民主主義の手続きを違反していないこと自体は当然理解しています。
http://constitutionaldemocracyjapan.tumblr.com/setsuritsushyushi

 ですから、彼らが責めているのは民主主義の「明文化されたルールに反していること」ではなく「ルール化されていない理念に反していること」の方になります。
 野球に喩えて言うならば、強打者への全打席敬遠を卑怯な戦術だと責めるようなもの。
 確かに全打席敬遠は、多くの日本人が求めるスポーツマンシップからは逸脱する行為かもしれませんが、別に野球の公式ルールそのものを破っているわけではありません。

 前回の記事の前半で述べたのもそういうこと。
 安部政権の行った『全打席敬遠』が気に入らないと不快感を表明する権利は誰にでもあると思いますが、それを「ルール違反だ」という言い方でまるで不正を行ったかのように伝え広めるやり方に私は賛同できませんでした。 


立憲主義か封建主義か - 間違ってもいいから思いっきり


 立憲デモクラシーの会などの解釈改憲反対論者たちは「集団的自衛権の発動を阻止したい」という目先の目標の方を優先していますので、たとえ安部政権のやり方が明確なルール違反ではなくても、ルール化されていない民主主義の常識や倫理観からは逸脱していると発信していきます。
 それを聞いた一般大衆が「安部政権は明確なルール違反をしている」と勘違いして受け取ったとしても、その勘違い自体は彼らの目標にとって好都合ですのでそこをわざわざ訂正したりはしません。
 大事なのはそれが正しいかどうかではなく、発信によって望む効果を獲ることなんですから。

 私は集団的自衛権がどうのという以前に、封建的なメンタリティのまま「単なるお上へのクレーム」としての政権批判をしている人々が民主主義の仕組みを理解できていないことを問題にしており、誤解を招きやすい煽動の弊害を軽減するための発信を優先しました。
 ですから、立憲デモクラシーの会などの解釈改憲反対論者たちがわざわざ訂正しようとはしない勘違いについて指摘しようと、前回の記事を投稿した次第です。
 もしかしたらそのことが反対派にとっては不都合な発信になっているのかもしれませんが、私は私が重要だと思う発信をするだけで、賛成か反対かというただの党派争いに参戦する気は全くありません。

 前回のような政治問題について、10年前の私なら敢えて首を突っ込もうなんて思いもしませんでした。
 私がこうした発信もこなすようになったのは、内田樹の発信の姿勢を見習ってきたおかげ。
 発信する方向こそ違いますが、それでも内田樹は私の心の師匠なんです。


※当ブログの主なテーマは、この世界を支配する「正しさ」という言葉のプロレスとの付き合い方。

http://mrbachikorn.hatenablog.com/entry/2014/03/12/175400
※そのプロレス的世界観を支えている「記述信仰」の実態を、簡単な図にしてまとめています。

http://mrbachikorn.hatenablog.com/entry/2014/07/06/051300