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間違ってもいいから思いっきり(市井人の日曜研究)

私たち人間は、言葉で物事を考えている限り、あらゆるものを「是か非か」と格付けする乱暴な○×ゲームに絶えず影響されています。ここでは、万人が強制参加させられているこの言語ゲームを分析し、言葉の荒波に溺れてしまわないための知恵を模索していきます。

人生はゴリ押しの連続

 「LIFE!~人生に捧げるコント~」という番組の2015年4月16日の回に、ムロツヨシ石橋杏奈による『修羅場』という印象的なxコントが放送されました。www.nhk.or.jp
 シーンは同棲中のカップルの家。
 部屋に放置されていた彼女のケータイを目撃し、浮気の事実を知ってしまった彼が彼女に詰め寄るところから話は展開されます。
 
 ショックを受けながらも彼女の三股以の浮気を指摘する彼に、彼女は「人のケータイ見るとかサイテー、本当ありえないから」と、彼のモラルの低さの方を指摘し返します。
 ここまでの逆ギレならよくある話ですが、物語はここから常識の範疇を超え出します。
 
 彼女の典型的な論理のすり替えが耳に入らないほどにショックを受けている彼は、座り込んで下を向きながら「もう何も信じられない」「これまでの3年間の付き合いは何だったんだよ」と嘆き悲しみます。
 そんな彼の横に彼女はかがみこみ、彼の顔を覗き込みながらこう諭します。
 
時には嘘みたいな現実も受け入れないと、人って成長できないんじゃないかな。
 
 「嘘みたいな現実」を作った張本人にそう諭されてしまった彼は、「なんでお前にそんなことを言われなくちゃ…」といった感じで戸惑ってしまいます。
 とりあえず彼女の目の前で失意にくれることをやめた彼は、ハサミをつかんで逆上し、「お前を殺して俺も死ぬ!」と無理心中を予告します。
 
 彼の目線をまっすぐに受け止めながら突きつきられたハサミに近付いた彼女は、ハサミを持った彼の手を掴んだ瞬間に反対側の手で彼の頬を強烈にビンタします。
 そして、まるでそれが痛烈な正論であるかのようにこう言い放ちます。
 
復讐で一瞬の幸福を得るより、許すことで幸せになる方を選びなよ!
 
 茫然とする彼に対して彼女はこう続けます。
 
それに、そのハサミで刺したとしても死ぬのは私じゃない。
(相手の胸に拳を当てて)
あなたのここ、ここにある正義よ!
 
 このあまりの迫力に圧された彼は、ひとまず無理心中を撤回します。
 つまり彼女は、あくまでも彼のためを思っての発言のようなふりをして、巧妙に自分の身を守ったわけです。
 
 しかし何か釈然としない彼は、ハサミを自分に向けて「生きてても仕方ないから自分だけでも死んでやる」と凄んでみせます。
 再び困ったことを言い出した彼に、彼女は2発目の強烈なビンタを食らわして上から目線でこう言います。
 
簡単に死ぬより、生きて何かを残しなよ!
 
 浮気をされた被害者のはずなのに、加害者からさらに2発も殴られた彼は、ハサミを捨てて「彼女の職場や友人に、彼女のことを浮気ばかりする最低な女だと言い触らす」と騒ぎ始めます。
 またまた具合の悪くなった彼女は、さも「自分は正しいんだ」といった目付きで、3発目のビンタをお見舞いしてこう言います。
 
人の評判下げたって自分の価値は上がらない、上がらないんだよ!
 
 3度も張り倒されて手詰まりになったのか、彼はようやく別れることを認めます。
 そして、後腐れのないように、過去に貸してあげた30万円を返すようにと要求します。
 彼女はもちろん4発目のビンタを食らわして、以下のように取り繕います。
 
目ぇ覚ましてよ!
財布の中身が豊かになるたび、心が貧しくなるのがなんでわからないの!
 
 これには彼も「おかしいだろ?」「当然のことを言ってるだけだろ?」と声を上げて抵抗しますが、彼女は有無を言わさず彼を張り倒して畳み込みます。
 
お金なんかにこだわって、自分という財産を汚すなって言ってるの!
 
 こうして借金をチャラにすることまで承服させられてしまった彼は、彼女に対して「やったことに関してはとりあえず謝って」と最低限の要求をします。
 これまで決して自分の非を認めてこなかった彼女は、鬼のような形相で彼に詰め寄り、右・左・右とビンタを3発連続で食らわしてボロボロにします。
 そして、最後の最後まで「彼の身を案じた」風な正論で押しきります。
 
人に頭を下げさせるんじゃなくて、上を向かせられる人間になろうよ!
そうでしょ、ね。
 
 こうして、三股の浮気をしながら30万円の借金まで踏み倒し、さらには口頭で謝罪することさえ回避した彼女は、彼のもとから去っていきます。
 そんな彼女に対して彼は一言「いい女だなあ」と呟いてしまうのです。
 
 私はこのコントで表現された「有り得ないほど理不尽さ」にただただ爆笑していましたが、一通り見終えた後、じわじわと複雑な余韻が込み上げてきました。
 「有り得ないほど理不尽で暴力的な仕打ちに対して立場の弱い側が従順になついてしまう」というケース自体は、この世の中で頻繁に起こっているなと妙に納得できてしまったのです。
 
 どんな嘘みたいな屁理屈でも、それを押し通せるだけの力と鈍感さがあれば正論に仕立て上げられる。
 そんな加害者の傲慢さや被害者の人のよさを象徴するような事例が、その日はいくつも浮かんできました。
 「人生に捧げるコント」とは上手く名付けたものです。mrbachikorn.hatenablog.com
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※当ブログの主なテーマは、この世界を支配する「正しさ」という言葉のプロレスとの付き合い方。mrbachikorn.hatenablog.com 
「正しさ」というゲームの最大の欠陥は、何を「正しい」とし何を「間違ってる」とするのかというルールや、その管理者たるレフェリーが、実際にはどこにも存在しないということ。
人類はこれまで数え切れないほどの論争を繰り広げてきましたが、それらのほとんどは「レフェリーの代弁者」という場を仕切る権限をめぐっての権力闘争でした。
 
「レフェリーの代弁者」という立場は、自分の個人的な要求でしかない主張を、まるでこの世の既成事実のように見せかけるための隠れ蓑です。
「それは正しい」とか「それは間違ってる」という言い方で裁きたがる人たちは、私はこの世のレフェリーの代弁をしているだけなんだという迫真の演技で己の発言の圧力を高めていたのです。
 
演技の迫力とは、演技者が役にどれだけ入り込めるかで決まるもの。
人々はいつしかレフェリーの代弁者のふりが説得のための演技であったことを忘れ、「どこかに本当の正しさがあるはず」といった物語を本気で信じこんでしまいます。
こうして人類の間には、「正しさ」という架空のレフェリーの存在をガチだと捉えてしまう、大がかりなプロレス社会が成立していきました。

そのプロレス的世界観を支えている固定観念の源を「記述信仰」と名付けました。
以下の記事では、この「記述信仰」の実態を上のような簡単な図まとめて解説していますので、ぜひご一読ください。mrbachikorn.hatenablog.com