間違ってもいいから思いっきり(市井人の日曜研究)

私たち人間は、言葉で物事を考えている限り、あらゆるものを「是か非か」と格付けする乱暴な○×ゲームに絶えず影響されています。ここでは、万人が強制参加させられているこの言語ゲームを分析し、言葉の荒波に溺れてしまわないための知恵を模索していきます。

日本はまだ主権国家ではない

 アメリカと日本の関係は、藤子不二雄Fの漫画『ドラえもん』における乱暴者ジャイアンとその舎弟スネ夫との関係のように喩えられることがあります。
 その現状が不満な日本人の中には、主権国家である日本は出来杉くんのような自立した優等生を目指すべきだという声が上がります。
 そして、どのような道筋で出来杉くんを目指すべきかという方法論の段階で右派と左派の意見は食い違うため、平行線の罵り合いが何十年も慢性的に繰り返されています。
 
 平和憲法の縛りによって軍事力を去勢されている現状を打破して「一人前の外交力を持った普通の国になりたい」とする右派の主張には、左派の側から「それは出来杉くんではなく乱暴者のジャイアンを目指す道だ」という批判が飛びます。
 「軍事力なんてなくても平和憲法の理想を堂々と訴えていけば日本は世界の模範になれる」とする左派の主張には、右派の側から「それは無力にやられるだけののび太を目指す道であり、平和憲法にはドラえもんの秘密道具のように都合よく助けてくれる力などない」といった批判が飛びます。
mrbachikorn.hatenablog.com
 
 こうした批判の応酬に対して「日本の現状はスネ夫なんかよりも遥かにひどいのに、そこを見ずに議論すること自体が無意味だ」と諭しているのが思想家の内田樹です。
 日本に平和憲法を押し付けながらも後に自衛隊の設立を後押ししたアメリカ側の思惑を「日本を無害かつ有益な属国の立場に留めておくこと」とする彼の言い分を翻訳すると、「スネ夫にはまだ個人としての自我がある分日本よりもマシだが、日本には国家の自我ともいうべき主権がいまだに存在していない」ということになるでしょう。
mrbachikorn.hatenablog.com
 
 そもそも出来杉くんになるのかジャイアンになるのかのび太になるのかという国としての選択は、日本国民が自らの意思で勝手にできることではない。
 この大前提から目を背けていては「自立した出来杉くん」になんて到底なれやしないといった類いの主張を、彼はそのブログや著作の中で繰り返してきました。
 その一例として、2015年6月22日のブログ記事の一部を抜粋してみましょう。
http://blog.tatsuru.com/2015/06/22_1436.php
 
まず私たちは、「日本は主権国家でなく、政策決定のフリーハンドを持っていない従属国だ」という現実をストレートに認識するところから始めなければなりません。
国家主権を回復するためには「今は主権がない」という事実を認めるところから始めるしかない。
 
病気を治すには、しっかりと病識を持つ必要があるのと同じです。
「日本は主権国家であり、すべての政策を自己決定している」という妄想からまず覚める必要がある。
 
戦後70年、日本の国家戦略は「対米従属を通じての対米自立」というものでした。
これは敗戦国、被占領国としては必至の選択でした。
ことの良否をあげつらっても始まらない。
それしか生きる道がなかったのです。
 
でも、対米従属はあくまで一時的な迂回であって、最終目標は対米自立であるということは統治にかかわる全員が了解していた。
面従腹背」を演じていたのです。
 
けれども、70年にわたって「一時的迂回としての対米従属」を続けてるうちに、「対米従属技術に長けた人間たち」だけがエリート層を形成するようになってしまった。
彼らにとっては「対米自立」という長期的な国家目標はすでにどうでもよいものになっている。
 
それよりも、「対米従属」技術を洗練させることで、国内的なヒエラルキーの上位を占めて、権力や威信や資産を増大させることの方が優先的に配慮されるようになった。
「対米従属を通じて自己利益を増大させようとする」人たちが現代日本の統治システムを制御している。
 
 つまり、アメリカというジャイアンとのケンカにボッコボコに負けて国土を占領された日本が出来杉くんとして再び自立するためには、一時的に「従順なスネ夫」を演じて占領主アメリカの信頼を勝ち取る必要があったということ。
 けれども、その演技を長年続けているうちに「スネ夫役を上手く演じないと出世できない構造」が日本のエリート層の中に組み込まれ、世代交代を通じて「いずれは出来杉くんとして自立する」という当初の目標が忘れ去られてしまったというわけです。
mrbachikorn.hatenablog.com
 
 内田樹は、スネ夫役を演じるという戦略が「日本の自立への道」に役立ったのは最初の27年間だけだと言います。
 彼はブログ記事の中で、日本が持っていたはずの目標が、現在のように忘れ去られていくまでの経緯を以下のように描写しています。
 
吉田茂以来、歴代の自民党政権は「短期的な対米従属」と「長期的な対米自立」という二つの政策目標を同時に追求していました。
そして、短期的対米従属という「一時の方便」はたしかに効果的だった。
 
敗戦後6年間、徹底的に対米従属をしたこと見返りに、1951年に日本はサンフランシスコ講和条約国際法上の主権を回復しました。
その後さらに20年間アメリカの世界戦略を支持し続けた結果、1972年には沖縄の施政権が返還されました。
 
少なくともこの時期までは、対米従属には主権の(部分的)回復、国土の(部分的)返還という「見返り」がたしかに与えられた。
その限りでは「対米従属を通じての対米自立」という戦略は実効的だったのです。
 
ところが、それ以降の対米従属はまったく日本に実利をもたらしませんでした。
沖縄返還以後43年間、日本はアメリカの変わることなく衛星国、従属国でした。
けれども、それに対する見返りは何もありません。
ゼロです。
 
沖縄の基地はもちろん本土の横田、厚木などの米軍基地も返還される気配もない。
そもそも「在留外国軍に撤収してもらって、国土を回復する」というアイディアそのものがもう日本の指導層にはありません。
 
アメリカと実際に戦った世代が政治家だった時代は、やむなく戦勝国アメリカに従属しはするが、一日も早く主権を回復したいという切実な意志があった。
けれども、主権回復が遅れるにつれて「主権のない国」で暮らすことが苦にならなくなってしまった。
その世代の人たちが今の日本の指導層を形成しているということです。
 
田中角栄は1972年に、ニクソンキッシンジャーの頭越しに日中共同声明を発表しました。
これが、日本政府がアメリカの許諾を得ないで独自に重要な外交政策を決定した最後の事例だと思います。
 
この田中の独断について、キッシンジャー国務長官は「絶対に許さない」と断言しました。
その結果はご存じの通りです。
アメリカはそのとき日本の政府が独自判断で外交政策を決定した場合にどういうペナルティを受けることになるかについて、はっきりとしたメッセージを送ったのです。
田中事件は、アメリカの逆鱗に触れると今の日本でも事実上の「公職追放」が行われるという教訓を日本の政治家や官僚に叩き込んだと思います。
 
それ以後では、小沢一郎鳩山由紀夫が相次いで「準・公職追放」的な処遇を受けました。
二人とも「対米自立」を改めて国家目標に掲げようとしたことを咎められたのです。
このときには政治家や官僚だけでなく、検察もメディアも一体となって、アメリカの意向を「忖度」して、彼らを引きずり下ろす統一行動に加担しました。
 
 このように本来国としてあるべき自立心を骨抜きにされてしまっている日本ですが、アメリカが永久に「世界のジャイアン」として磐石の支配力を維持していてくれるならば、保身のためにスネ夫としてジャイアンのご機嫌を取り続けるのも悪くない選択かもしれません。
 しかし、アメリカがいつまでも「世界のジャイアン」をやってくれるという保証はどこにもありません。
mrbachikorn.hatenablog.com
 
 もし将来、アメリカが「世界のジャイアン」という役割を降りるならば、日本はこれからどう対策を打っていくべきなのか。
 内田樹は次のように論を進めていきます。
 
アメリカが覇権国のポジションから降りる時期がいずれ来るでしょう。
その可能性は直視すべきです。
 
直近の例としてイギリスがあります。
20世紀の半ばまで、イギリスは7つの海を支配する大帝国でしたが、1950年代から60年代にかけて、短期間に一気に縮小してゆきました。
植民地や委任統治領を次々と手放し、独立するに任せました。
 
その結果、大英帝国はなくなりましたが、その後もイギリスは国際社会における大国として生き延びることには成功しました。
いまだにイギリスは国連安保理常任理事国であり、核保有国であり、政治的にも経済的にも文化的にも世界的影響力を維持しています。
60年代に「英国病」ということがよく言われましたが、世界帝国が一島国に縮減したことの影響を、経済活動が低迷し、社会に活気がなくなったという程度のことで済ませたイギリス人の手際に私たちはむしろ驚嘆すべきでしょう。
 
大英帝国の縮小はアングロ・サクソンにはおそらく成功例として記憶されています。
ですから、次にアメリカが「パックス・アメリカーナ」体制を放棄するときには、イギリスの前例に倣うだろうと私は思っています。
 
帝国がその覇権を自ら放棄することなんかありえないと思い込んでいる人がいますが、ローマ帝国以来すべての帝国はピークを迎えた後は、必ず衰退してゆきました。
そして、衰退するときの「手際の良さ」がそれから後のその国の運命を決定したのです。
ですから、「どうやって最小の被害、最小のコストで帝国のサイズを縮減するか?」をアメリカのエリートたちは今真剣に考えていると私は思います。
 
それと同時に、中国の台頭は避けられない趨勢です。
この流れは止めようがありません。
これから10年は、中国の政治的、経済的な影響力は右肩上がりで拡大し続けるでしょう。
つまり、東アジア諸国は「縮んで行くアメリカ」と「拡大する中国」という二人のプレイヤーを軸に、そのバランスの中でどう舵取りをするか、むずかしい外交を迫られることになります。
 
フィリピンはかつてクラーク、スービックという巨大な米軍基地を国内に置いていましたが、その後外国軍の国内駐留を認めないという憲法を制定して米軍を撤収させました。
けれども、その後中国が南シナ海に進出してくると、再び米軍に戻ってくるように要請しています。
 
韓国も国内の米軍基地の縮小や撤退を求めながら、米軍司令官の戦時統制権については返還を延期しています。
つまり、北朝鮮と戦争が始まったときは自動的にアメリカを戦闘に巻き込む仕組みを温存しているということです。
 
どちらも中国とアメリカの両方を横目で睨みながら、ときに天秤にかけて、利用できるものは利用するというしたたかな外交を展開しています。
これからの東アジア諸国に求められるのはそのようなクールでリアルな「合従連衡」型の外交技術でしょう。
 
残念ながら、今の日本の指導層には、そのような能力を備えた政治家も官僚もいないし、そのような実践知がなくてはならないと思っている人さえいない。
そもそも現実に何が起きているのか、日本という国のシステムがどのように構造化されていて、どう管理運営されているのかについてさえ主題的には意識していない。
 
それもこれも、「日本は主権国家ではない」という基本的な現実認識を日本人自身が忌避しているからです。
自分が何ものであるのかを知らない国民に適切な外交を展開することなどできるはずがありません。
私たちはまず「日本はまだ主権国家ではない。だから、主権を回復し、国土を回復するための気長な、多様な、忍耐づよい努力を続けるしかない」という基本的な認識を国民的に共有するところから始めるしかないでしょう。
 
 私も内田樹のこの「基本的な認識を国民的に共有するところから始めるしかない」という主張については大賛成です。
 たとえ現状がどんなに惨めで恥ずかしいものであろうと、そこから目を背けていてはいつまで経っても現状維持のままでしょうから。

ドラえもん (スネ夫編) (小学館コロコロ文庫)

ドラえもん (スネ夫編) (小学館コロコロ文庫)

 
 
※当ブログの主なテーマは、この世界を支配する「正しさ」という言葉のプロレスとの付き合い方
mrbachikorn.hatenablog.com

※そのプロレス的世界観を支えている「記述信仰」の実態を、簡単な図にしてまとめています。
mrbachikorn.hatenablog.com