間違ってもいいから思いっきり(市井人の日曜研究)

私たち人間は、言葉で物事を考えている限り、あらゆるものを「是か非か」と格付けする乱暴な○×ゲームに絶えず影響されています。ここでは、万人が強制参加させられているこの言語ゲームを分析し、言葉の荒波に溺れてしまわないための知恵を模索していきます。

心理植木のすがすがしい本音

「本当にわかる心理学を書いてください。『本当に』がポイントです。世間の流行やトレンドは気にしなくていいですから」……そう依頼されたとき、私は嬉しかった。
心理学の真骨頂を伝えられるときがやっと来た、と思った。
 
「でしたら、みんなが大好きな『心理テスト』も『深層心理』も、頭から否定しますけど?」——。
戸惑う編集者の顔を覗き込みながら、私の心は浮き足立っていた。
ずっと書きたかったのだ。
そういう本当の本が。

フシギなくらい見えてくる! 本当にわかる心理学

フシギなくらい見えてくる! 本当にわかる心理学

 
 これは、心理学の専門家としてメディアで活躍している植木理恵の著書『本当にわかる心理学』の序文です。
 この序文からは、心理学の専門家としてメディアに登場しながらも、ミーハーな世間のニーズに応えるためにこれまで「心理学の真骨頂」をちゃんと伝えることができなかったという彼女のストレスが伺い知れます。
 「心理学とは何か」という最初の章では彼女のそんなこだわりが爆発していますので、本文の一部を抜粋して紹介してみましょう。
 
フロイトユング、そしてアドラーらが「心」を研究していた19世紀、心理学は、哲学やキリスト教の影響を少なからず受けていた時代であった。
つまり、産声をあげたばかりの心理学は、まだ「現代科学」の体裁を整えておらず、当時の思想、文化、神話から独立していなかったのだ。
 
ちなみに、「抑圧された深層心理」は、他者の目には見えない(なぜなら「深層」なのだから)。
無意識も絶対に観測できない(なぜなら「無」意識なのだから)。
 
したがって、それらのものが本当にあるのかないのかも、科学的にはいまだに謎に包まれたままである。
そしてこれから先も、フロイトたちが提唱してきたさまざまな概念の「実存的な有無」を検証することは、理論上不可能だろう。
 
にもかかわらず、彼らの考え方は150年もの間、世界中の人々から熱心に支持され、研究者のみならず志井の人々の心をもとらえ続けている。
私の観察では、特に女性はこれに心酔する傾向にある。
 
「あなたは、無意識に潜むエゴに苦しめられている」……分析医がそう、厳かに告げれば、多くの女性は(はたから見ていて「エッ?」と思うくらい)、納得し涙する。
不思議である。
 
しかし、私はそういう不確かなことを、真実のように騙ることができないでいる。
心理学の真の意味が誤解されていくのには、もう耐えられないのだ。
 
「フロイディアン」や「ユンゲリアン」と呼ばれる熱狂的ファンからの反感を恐れずにあえて述べるが、もはや彼らの主張は、きわめて人気のある「古典神話」を系統立てて語り継いでいる行為に過ぎず、厳密な意味での心理学研究とは分けて考えるべきだと私は思っている。
 
さて一方で、「科学」の様式にこだわる実験心理学の研究者に「心理学の父は?」と問えば、例外なく、ヴントの名を挙げるだろう。
彼は、フロイトと同じく19〜20世紀初頭にかけての神経学者、生理学者であった。
彼は、実験的な心理学を確立させて体系化を行うとともに、心理学の中に測定や数学といった科学を持ち込み、哲学や宗教から「切り離す」ことに挑んだ、最初の人物であるといえよう。

私自身は、彼らが提唱してきた研究法、つまり「科学としての心理学」の研究に、ずいぶん前から傾倒してきた。
現代心理学は、その科学的アプローチが主流となっており、心理学の大きな潮流となっている。
 
それにしても実験心理学というこのアプローチは、あまりにもストイックで夢がないからか、フロイトらの学説ほどにポピュラーになったことが一度もない。
しかし、多くの生理学者や心理学者に対しては、長い年月を通して静かに根深く影響を及ぼし続けている。

特に、科学的エビデンス(根拠)が重んじられるようになったここ半世紀は、
・目に見えるものしか実在しない
・測定できないものについて、科学者は論じるべきでない
という考え方が心理学の世界でも主流となり、特に行動主義、認知主義と呼ばれる分野の心理学者の間では、いまや完全にそのルールが定着してきているといえる。
 
 彼女が区別したがっているのは、わずかな根拠から性格や過去などを乱暴に当てて生き方をやたらと指示したがる「占いとしての心理学」「人生訓としての心理学」と、厳密な手続きで集めたデータから慎重に仮説を積み重ねていく「科学としての心理学」との違い。
 これまで「科学としての心理学」に心血を注いできた彼女としては、大したエビデンスもない癖にズバズバと決めつけていくような占い風情とは一緒にして欲しくないのでしょう。
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 彼女が推す実験心理学はいくつもの「○○心理学」という分野に細分化されていますが、彼女は「便宜的に切り分けられたジャンルよりもどんな研究手法で調べたかが大事」と研究のプロセスの方をはるかに重視しています。
 以下の文章にも、ジャンル分けよりも研究手法を重視する彼女の心情が、飾りなく正直に描かれています。
 
私個人に関していえば、「人の信念は、人の行動をどのように変えるのか」ということに関心を持ってきた。
それを調べるためには、質問用紙に的確に答えられる「高校生以上の男女」であることが必要であり、かつ結果が見えやすい「学習場面」をリサーチしていくことが、一番の近道なのである(実のところ、教育にも高校生にもさして興味はない)。
しかし私には、「教育心理学者」という一応のラベリングがされている。
不思議な気持ちがする。
 
 このような記述ばかりを抜き出すと冷たいイメージが先攻するかもしれませんが、私個人は彼女の普段からの発信に「世に溢れる悩みの数々を少しでも軽減するためにテレビの場を活用できれば」という熱い気概を感じます。
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 また、自分が伝えたいことをただ訴えるだけではなく、テレビ局側の「面白ければ何でもいい」という下世話なニーズにも配慮するバランス感覚があるからこそ、彼女の発信はお茶の間に受け入れられています。
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 心理学者として表舞台に立つ彼女がこだわっているのは、科学を名乗るのに必要とされる最低限のエビデンス。
 人類の歴史において科学がその信頼を勝ち取ることができたのは、論文の通りにすれば誰がやっても同じような結果になるという再現性があったから。
 ですから彼女は、本書においてもテレビ出演の場でも、学者としての見解を述べる際は、科学的エビデンスが認められた学術論文を必ず引用しています。
 
 その意味では、フロイトユングアドラーといった時代の宗教がかった心理学は、再現性とエビデンスによって築かれてきた「科学としての威光」を流用するべきではありません。
 そういった巷で人気の心理学を、「科学としての心理学」と厳密に切り分けることこそが本書の主目的と言えるでしょう。
 
 それは、科学者としての最低限のモラルを守りたいという信念の現れです。
 教育心理学者が教育にさして興味がないとしても、彼女にとっての心理学は科学であって人生訓ではないので、別にそれはモラルや人間性の欠落を意味するわけではないのです。

 
※当ブログの主なテーマは、この世界を支配する「正しさ」という言葉のプロレスとの付き合い方
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※そのプロレス的世界観を支えている「記述信仰」の実態を、簡単な図にしてまとめています。
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