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間違ってもいいから思いっきり(市井人の日曜研究)

私たち人間は、言葉で物事を考えている限り、あらゆるものを「是か非か」と格付けする乱暴な○×ゲームに絶えず影響されています。ここでは、万人が強制参加させられているこの言語ゲームを分析し、言葉の荒波に溺れてしまわないための知恵を模索していきます。

役に立つならええじゃないか

 「科学の目的は予測と制御であり真理の探究ではない」というのが構造主義者である高田明典の持論です。
 これはつまり、 神のような立場でなければ「なぜ世の中がこうなっているのか」に関する究極の理由なんて知りようがないのだから、神の立場にない私たち人間は「どうすればこの世の中に上手く対応できるのか」に関する実際的な知恵を磨くしかないという、WHYからHOWへの潔いシフトチェンジです。mrbachikorn.hatenablog.com
 
 彼の問題意識は、構造主義におけるこうしたシフトチェンジの妥当性が、WHYばかりにこだわる「うぶな人々」には上手く伝わっていないということ。
 彼はそんな「うぶな人々」にも構造主義の妥当性を伝えるため、『構造主義がよ〜くわかる本』という著書でこう解説しています。

 
私たちの意識の外の世界に「何らかの実体」「実体物」が存在するという考え方を「実体論」と呼びます。
構造主義は、この「実体論」を採用しないという点で、思考の方法における画期的な一歩を踏み出したと言えます。
 
私たちは、「本当に正しいこと」「絶対的・普遍的な真理」に到達することはできませんし、そもそもそのようなものを求めてはいません。
私たちが求めているのは、ある状態を、別の(好ましい)状態に変化させるための効率的な方法であり、また、ある状態がどのような状態に変化していくのかを予測する効率的な方法であるはずです。
端的に言うならば、この二つの目的以外のものを標榜するものは、科学ではありませんし、科学にはそれ以上のことはできません。
 
 HOWにこだわるこの構造主義の確立に影響を及ぼした人物の一人が、心理学の父と呼ばれるフロイトです。
 フロイトの「人間には自覚できない無意識の領域がある」という発信は様々なジャンルの学問に影響を及ぼしており、無意識という言葉はもはや一般常識レベルにまで浸透しています。
 
 ですが、現代の心理学者の中には、こうして知れ渡るようになったフロイトらの業績が、まるで占いや宗教のように神秘的なシンボルとして扱われていると危惧する人々も大勢います。mrbachikorn.hatenablog.com
 心理学者の植木理恵はその著書『本当にわかる心理学』の中で、心理学の扱いに関する現状への違和感をこう表現しています。
フシギなくらい見えてくる! 本当にわかる心理学

フシギなくらい見えてくる! 本当にわかる心理学

 
「抑圧された深層心理」は、他者の目には見えない(なぜなら「深層」なのだから)。
無意識も絶対に観測できない(なぜなら「無」意識なのだから)。
 
したがって、それらのものが本当にあるのかないのかも、科学的にはいまだに謎に包まれたままである。
そしてこれから先も、フロイトたちが提唱してきたさまざまな概念の「実存的な有無」を検証することは、理論上不可能だろう。
 
にもかかわらず、彼らの考え方は150年もの間、世界中の人々から熱心に支持され、研究者のみならず志井の人々の心をもとらえ続けている。
私の観察では、特に女性はこれに心酔する傾向にある。
 
「あなたは、無意識に潜むエゴに苦しめられている」……分析医がそう、厳かに告げれば、多くの女性は(はたから見ていて「エッ?」と思うくらい)、納得し涙する。
不思議である。
 
しかし、私はそういう不確かなことを、真実のように騙ることができないでいる。
心理学の真の意味が誤解されていくのには、もう耐えられないのだ。
 
 彼女のように「無意識を語ること」を避ける態度は、行動主義、認知主義と呼ばれる分野ではむしろ当然のこと。
 ただ、高田明典に言わせれば、無意識とは「実体物」ではなく「説明のための方便」です。
 この両者の違いは「無意識という実体物が存在するかしないか」という根の深い対立ではなく、ただ単に「無意識という方便を積極的に活用したいかどうか」という好みの差に過ぎません。
 
 たとえそれが実体として存在しようがしまいが、方便として役に立つなら遠慮なく語ればいい。
 そのように説く彼は、『構造主義がよ〜くわかる本』の中でも、フロイトの提唱した仮説を以下のように擁護しています。
 
誰もが「心」という単語を知っていますし、それを適切に使用できると感じています。
しかし、いったい心とは何なのかと問われると、答えに困る場合が多いでしょう。
 
「心」とは、構成概念です。
構成概念とは、そのような概念によって物事をうまく説明できて、予測や制御を効果的に行うことができるようになるという理由から「仮に置かれるもの」です。
誤解をおそれずに断じてしまうならば、「〈心〉などというものは、どこにも存在しない」と言うことができます。
 
「無意識」も「心」と同様に構成概念です。
フロイトは、問題行動のある人間の行動を予測し制御することを考える過程で、「意識」されない何らかの要素(つまり「意識」の対立概念)を置くと、うまく説明できると考えました。
 
このフロイトの提唱した「構造」が他の分野に大きな影響与えたのは、多くの分野においてそれまで説明できなかったことを説明しえたということによります。
「説明しえた」というのは、予測もしくは制御の可能性が高かったということです。
 
構造主義は、「有用であること」「予測と制御を行うこと」を求めているのであり、少々汚くても「役に立つ」ことを目指しているというわけです。
その意味で、フロイトが提唱した構造は、画期的であったと考えられます。
批判を恐れずに言えば、心理学に類される研究でフロイトの無意識心理学ほど「役に立った」ものは他には皆無です。
 
 これは「大事なのは真理ではなく役に立つかどうかだ」とする高田明典なりの潔い割り切りの表明です。
 さらに思想家の内田樹は、その著書『寝ながら学べる構造主義』の中で、フロイトの行った精神分析の効用とその目的を以下のようにより具体的に綴っています。
寝ながら学べる構造主義 (文春新書)

寝ながら学べる構造主義 (文春新書)

 
精神分析の治療は、ご存じのとおり、被分析者が、分析家に対して、自分自身の心の中を語る、という仕方で進行します。
あらゆる「自分についての物語」がそうであるように、被分析者の語りは、断片的な真実を含んではいますが、本質的には「作り話」に他なりません。
フロイトによれば、精神分析治療は、患者が無意識的に抑圧している心的過程を意識化させることで、症状を消失させることをめざしています。
 
「無意識的なものを意識的なものに移す」というのは、決して「抑圧されていた記憶を甦らせて、真実を明らかにする」ということを意味するのではありません。
病因となっている葛藤が解決されるなら、極端な話、何を思い出そうと構わないのです。
精神分析の使命は、「真相の究明」ではなく、「症候の寛解」だからです。
 
フロイトのヒステリー患者たちが語った過去の性的トラウマのいくぶんかは偽りの記憶でした。
しかし、「偽りの記憶」を思い出すことで症状が消滅すれば、分析は成功なのです。
 
 これは普段から「正しい情報を提供することが人間の世の中を少しでも住みよくする努力に水を差すことになるならば正しい情報なんか豚に食わせろ」と発信している内田樹らしい割り切り方。mrbachikorn.hatenablog.com
 症状に悩んで相談しにくる被分析者にとって大事なのは症状の改善であって、「本当は何が原因なのか」という真相の究明ではありません。
 もし分析家が「たとえ症状が改善してもその記憶が偽りならば許せない」とこだわる真実バカならば、そんな相手に相談したいという人がどれだけいるでしょうか。
 
 確かに「人間の心には自覚できない無意識の領域がある」というのは科学的に実証された事実ではありません。
 ですが、この考え方を方便として取り入れることで改善した症状は数多くありましたし、他の分野の学問にも大きく貢献しました。
 その意味では、それが実在するかしないかに関わらず、無意識というアイデアはすでにこの現代社会で重要な役割を果たしていると言えるのです。
 
  
※当ブログの主なテーマは、この世界を支配する「正しさ」という言葉のプロレスとの付き合い方mrbachikorn.hatenablog.com

※そのプロレス的世界観を支えている「記述信仰」の実態を、簡単な図にしてまとめています。mrbachikorn.hatenablog.com