読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

間違ってもいいから思いっきり(市井人の日曜研究)

私たち人間は、言葉で物事を考えている限り、あらゆるものを「是か非か」と格付けする乱暴な○×ゲームに絶えず影響されています。ここでは、万人が強制参加させられているこの言語ゲームを分析し、言葉の荒波に溺れてしまわないための知恵を模索していきます。

力こそがすべて

 和太鼓にも人生にも共通する私のモットーは「気持ち良ければそれでいい」「楽しければそれでいい」「それ以外の雑音はほっとけばいい」というもの。mrbachikorn.hatenablog.com
 世の中には「楽しいだけじゃ駄目でしょ」「気持ちよければいいなんて動物と一緒じゃないか」なんて圧力がいたるところに潜んでいるので、そんな圧力に負けずに「それだけでいいに決まってる」という姿勢を貫くには、ある種の強さが必要になります。
 私はこの姿勢を「この世は力こそがすべて」と解釈することで手に入れました。
 
 自分の中での「こうあらねばならない」とか「こうあってはならない」といった基準は、他者から自分に向けての「こうして欲しい」「これこれはやめて欲しい」というリクエストの圧力が、己の自然な欲求を抑えつけるときに生まれるもの。
 つまり、「駄目だ」とか「ねばならない」といった基準はその場その場の力関係によって変わっていく相対的なものでしかなく、力に左右されない絶対的な基準などこの世には一つもないということです。
 「そうであるならば他者からの圧力に負けて振り回されているのは馬鹿らしい」という判断から、「楽しさや気持ちよさ以外の基準を雑音としてほっとけるだけの強さを持てばいい」という今現在の態度が決まりました。mrbachikorn.hatenablog.com
 
 とは言え、ここで大前提とした「力こそがすべて」という主張には、「力に左右されない価値だってあるはずだ」という反感が予想できます。
 それは、単に「力」とだけ言うと、暴力・武力・権力といった非難されやすい力の概念の方を連想してしまう人が多いからでしょう。
  
 「力こそがすべて」という言い方には、多くの人を惹き付けるだけの魅力や、納得させるだけの説得力が足りていないわけです。
 しかし、よく考えれば魅力も説得力も数ある「力」のうちの一つなんですから、「魅力や説得力が足りないから受け入れられない」というこの事態そのものが、最終的には「力こそがすべて」であることを裏付けています。mrbachikorn.hatenablog.com
 
 浮わついた現実逃避のようにも聞こえる「気持ち良ければそれでいい」「楽しければそれでいい」「その他の雑音はほっとけばいい」という信念は、私にとっては「力こそがすべて」という大前提から導き出したドライな結論でしかありません。
 世の「こうでなければならない」とか「こうあってはならない」という雑音は、現実に力を持って私たちの行動を邪魔することがありますから、その雑音の「力」を完全に無視してしまうことはできないでしょう。
 ですが、それはあくまで「力に邪魔された」というだけのことですから、自分自身の内面の問題としては本気で「こうでなければならない」「こうあってはならない」と真に受けたりせずにほっといたらいいのです。
 
 巷に溢れる浮わついた現実逃避としての「楽しければそれでいい」にはこうした「力」の観点や「力」と向き合う覚悟が欠けていますから、「楽しいだけじゃ駄目」と言いたがる勢力の実際の圧力に相対したときに潰される場合が多々あります。mrbachikorn.hatenablog.com
 そして覚悟もなく潰された元現実逃避組たちが、薄っぺらい失敗の体験を元に「楽しいだけじゃ駄目だ」と説教する勢力に加わっていくこともあるわけです。
 
 ブログ「間違ってもいいから思いっきり」の目的は、「気持ち良ければそれでいい」「楽しければそれでいい」と感じている人たちにとっての「力」となること。
 「ねばならない」というマウンティングの力学を種明かしして説教そのものの圧力を削いだり、身に降りかかる洗脳や煽動への抵抗力を上げていくきっかけになれればと思って毎週記事を書いています。
 とは言え私はまだまだ力不足ですから、記事の魅力や説得力を上げるにはどんな工夫ができるかと試行錯誤しながら、これからも自分のペースで楽しんでいくつもりです。
 
  
※当ブログの主なテーマは、この世界を支配する「正しさ」という言葉のプロレスとの付き合い方mrbachikorn.hatenablog.com

※そのプロレス的世界観を支えている「記述信仰」の実態を、簡単な図にしてまとめています。mrbachikorn.hatenablog.com