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間違ってもいいから思いっきり(市井人の日曜研究)

私たち人間は、言葉で物事を考えている限り、あらゆるものを「是か非か」と格付けする乱暴な○×ゲームに絶えず影響されています。ここでは、万人が強制参加させられているこの言語ゲームを分析し、言葉の荒波に溺れてしまわないための知恵を模索していきます。

基本は会話と白ごはん

 幸せのために最優先で取り組むべき課題は「楽しみ」を生み出すことであり、人生におけるその他の要素は2番手以降の雑事に過ぎない。
 そして世の中の全ての不幸は、その優先順位の取り違えから生まれる。 mrbachikorn.hatenablog.com
 
 そう考えて「楽しみ」以外の価値を優先させたがる周囲の雑音は蹴散らしながら生きようと決めたのは大学の学部生~院生だったころ。
 当時私は社会人・大学生・高校生らが引率として中学生・小学生のグループを盛り立てていく地域のレクレーション活動に参加しており、そこで知り合った仲間たちとキャンプなどを頻繁に楽しんでいました。
 ですが、組織の合併によって思想がかった人に運営の主導権を握られてしまい、楽しかった自分たちの活動が「こうあるべき」という気持ち悪い啓蒙思想に汚されていくのが我慢ならなくて抵抗したり独立したりしていたときから冒頭の言葉のように強く感じ始めたのでした。
 
 そんな人生を充実させる「楽しみ」の中でも、私が「もっとも基本的で重要な娯楽」だと考えているのが会話です。
 そこで今回は、私が長年提唱している「会話≒白ごはん」理論を紹介させていただきます。
 
 日本人の食文化として特徴的なのが、おかずと一緒に米を食べるということ。
 「ごはんがすすむ」のフレーズが美味しい料理の誉め言葉として成立しているのも、この特殊な食文化があるからです。

しろめしの友

しろめしの友

 
 そして、娯楽として見たときの会話の地位は、日本食における白ごはんの地位とほぼ同じだというのが私の主張です。
 映画などの観劇、テーマパーク、アウトドアなどその他の娯楽は皆、会話というもっとも基本的な娯楽をバラエティ豊かに彩る絶好のおかずになります。
 また、ごはん自体が美味しければ漬物やふりかけなどちょっとしたごはんのお供でもご馳走になるように、心地よい会話ができる相手とであれば日々の些細な出来事すらも素敵な娯楽へと昇華することができます。
 
 こうした、会話を主食の「白ごはん」とみなし、その他の要素を「おかず」とみなす捉え方を、私は恋愛や結婚の場面でも活用することができました。
 一般に恋愛の主目的とされがちな「惚れた晴れたのドキドキ」などは、喩えて言うならば「肉料理」のようなもの。
 これまでのつたない恋愛経験から学習してきたのは、情熱という「肉料理」の分かりやすい味の濃さだけに囚われて、日々の会話という「ごはん」の味わいを疎かにしてしまえば、恋愛は失敗してしまうということです。
 
 20代の頃から「おじいさんになったときに仲良くやっていけるおばあさんと出会いたい」と考えていた私にとっては、いずれは薄れる情熱という「脂っこい肉料理」の派手な旨みよりも、一生味わっていける会話という「ごはん」の穏やかな旨みの方がはるかに重要でした。
 ですから、一時的な「肉の美味しさ」に溺れて夢中になったがゆえに不味い「ごはん」を無意識のうちに我慢してしまうような、そんな愚かな真似だけは絶対に避けようと常に意識してきたのです。mrbachikorn.hatenablog.com
 
 そして今では、一緒にいて居心地のいい相手と結婚することができ、なんでもない日々の会話をしみじみと噛み締めています。
 そのおかげで、身の回りで起こるどんな出来事も絶好のおかずになるので、ごはん(会話)がすすむ幸せな毎日を送ることができています。
 
 世の中にはお米(なんでもない会話)が嫌いな人も肉(恋愛特有のドキドキ)ばかりいつまでも食べていられる人もいますから、今回紹介した「会話≒白ごはん」理論が全く当てはまらない人ももちろんいると思います。
 私としては、好みの合う方だけにでも何かの参考にしてもらえれば幸いです。
 
  
※当ブログの主なテーマは、この世界を支配する「正しさ」という言葉のプロレスとの付き合い方mrbachikorn.hatenablog.com

※そのプロレス的世界観を支えている「記述信仰」の実態を、簡単な図にしてまとめています。mrbachikorn.hatenablog.com