間違ってもいいから思いっきり

私たち人間は、言葉で物事を考えている限り、あらゆるものを「是か非か」と格付けする乱暴な○×ゲームに絶えず影響されています。ここでは、万人が強制参加させられているこの言語ゲームを分析し、言葉の荒波に溺れてしまわないための知恵を模索していきます。

苦境をネタに昇華する

 それは三年半前の昼のことでした。
 デスクワークをしていると、唐突に、腰の右脇の方に猛烈な痛みが襲ってきました。
 姿勢を保つこともできないくらいの破滅的な激痛に椅子からへなへなと崩れ落ち、痛みに悶えて這いつくばりながら職場の保健室へと直行。
 
 保健室に向かいながら携帯電話で「右脇腹の痛み」と検索してみると、真っ先に出てきたのは「盲腸の疑い」でした。
 「盲腸かあ、手術せずに薬で散らせるといいなあ」と思いながら何とか保健室にたどり着くと、保健の先生は背中の方を押さえてる私を見て「盲腸じゃないよ、多分結石やね」と診断。
 すぐさま職場近くの病院に車で運ばれていきました。
 
 痛みに顔を全開で歪め、身をよじりながら初診受付をしていると、見かねた受付の方が車椅子を持ってきてくれました。
 しかし、診察を待つ間にも痛みの波はドンドン酷くなり、身をよじりすぎて車椅子にも座っていられなくなりました。
 
 車椅子の座席を抱きかかえて七転八倒している私の様子に、今度は担架が出動。
 担架の上でしばらく放置され、散々身をよじったあとにようやく医師が到着し、触診を受けることができました。
 
 医師は背中に当てていた私の手をどかし、強烈に指圧しながら「ここが痛みますか?」などと当たり前の質問をしてくるので、「はい…」と息も絶え絶えに返事。
 さらに裏側のお腹を指圧してきて「こちらも痛みますか?」と冷酷に聞いてくるので、冷静さをギリギリで保ちながら「痛いことは痛いですが、何をしていても常に痛み続けているので、押されたから痛いのかどうかは判断がつきません」とひそかに苛立ちながら返事を突き返します。
 
 すると、横から「痛みを抑えてからでないと診断できないので、ボナフェックを使いましょう」という女性の声が聞こえてきたので、「何でもいいから痛みをどうにかしてくれ〜」という破れかぶれの気分に。
 そうして座薬・点滴・CTスキャンと「人生初体験」の3連コンボ。
 5分〜10分で効くと言われた座薬も30分くらい経てば少しは効果がありましたが、効き目には波があって以下の3レベルの痛みを行ったりきたりするありさまでした。
 
①何とかジッとしていられるギリギリ限界のレベル
②ジタバタ身をよじることで何とか平静を保っていられるレベル
③いくら身をよじってもどうにもならず絶望的な気分で悶え苦しむレベル
 
 波が浅いときを狙ってCTスキャンと検尿を何とか終え、待合所でレベル2の痛みに苦しんでいるときに診察室に呼ばれました。
 患者用の丸椅子に真っ直ぐ座っていられる状態ではなかったので、医師のデスクに這いつくばった状態で説明を受けます。
 
 CTスキャンの断面図を見せられながら受けた診断は尿管結石。
 右の腎臓から膀胱へと通じる尿管の出口に小さな結石が詰まっており、せき止められた尿管が腫れ上がっていて激痛を起こしているとのことでした。
 
 極々小さな結石のため、自然に出てくるのを待つ以外に処置の仕様はない模様。
 だいたい2週間以内には出てくるということなので、それまでは薬で痛みを抑えながらやり過ごすしかないようでした。
 
 診断を受けてから会計処理を待つ間にもレベル2〜3の痛みの波が襲いかかり、待合いのソファーの上で丘に打ち上げられた魚のようにピチピチ・ヒクヒクとのた打ち回っていました。
 あまりにも見苦しいので誰にも見られない個室で一人苦しもうと、トイレに入ったところで猛烈な吐き気が襲い、続けざまに1回、2回、3回と激しくえずきまくり。
 トイレから出たときは嘔吐の余韻で最悪な気分でしたが、ふと我にかえってみると、さっきまでの痛みがほとんど消えてしまってることに気付きました。
 
 3時間休みなく激痛に苦しみ抜いた後にふいに訪れた、痛みの全く無い世界はまさに極楽。
 過去に味わってきた帯状疱疹やアキレス腱完全断裂・アキレス腱部分断裂などとは比べものにならないくらいの痛みに、診断を受けるまでは死に至る病の可能性も頭によぎり、余命を宣告されでもしたら限られた時間をいかに有意義に過ごそうかなどという想像までしてしまうほどでした。 
 
 この尿管結石の後遺症と言えば、激痛でひきつり過ぎた顔に深い皺が刻まれ、たった一日でゴルゴ13のように老け込んでしまったことくらい。
 一時は「死ぬかも!?」と真剣に考え込んでいたので、無事に生きられて本当に良かったです。

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 3年半も前の出来事をこのように詳細に記述できるのは、当時SNS上でネタにしたときの記録が残っていたから。
 実はこれこそが、私が昔から実践しているストレス軽減法なんです。
 このストレス軽減のための筋道を、前回紹介した「会話≒白ごはん」理論にし解説してみましょう。mrbachikorn.hatenablog.com
 
 「会話≒白ごはん」理論というのは、人生における楽しみの主食を「会話」と見なし、人生の他の要素を会話のためのおかず(ネタ)と捉えることで、美味しいごはん(会話)さえあればどんな些細な経験だろうと人生の楽しみに変換していけるという考え方です。
 この「会話≒白ごはん」理論は当人の自覚とは無関係に世間でも広く実践されており、例えば政治のような深刻なテーマですら、会話というアトラクションのネタとして頻繁に有効活用されています。mrbachikorn.hatenablog.com
 
 このように人生における出来事のすべてを会話のネタの候補だと捉えると、つらい経験や苦しい経験は辛味や苦味の強い食材のようなもの。
 辛味や苦味といった癖のある食材(経験)を、白ごはん(会話)に合う美味しいおかずに仕上げるには、人の舌に合わせるための何らかの工夫が必要になります。
 
 その工夫を怠って「このつらさ・苦しさを分かって」と自分への共感をねだるだけになってしまえば、ただ辛いだけ、ただ苦いだけのおかずを、話し相手に押し付けることになってしまいますから。
 これは美味しくないおかずを白ごはんで無理矢理かきこむような不快な体験ですから、相当の信頼関係があるか余程のお人好しでない限り、そんな「不味い飯」には何度も付き合ってもらえません。
 ですから、つらい体験や苦しい経験を多くの人に共感してもらいたいと思うのなら、どう話せば興味を持ってもらえるかという「話の旨味」をプロデュースする必要があるのです。
 
 そのように考える習慣ができていると、いざ自分が苦境に立たされている最中でも「このしんどさはどのように話せば人に共感されやすいだろうか」という具合に「後の楽しみ」に想いを馳せられるようになります。
 そうすると、今味わっている痛みや理不尽さなどが極端であればあるほど、その素材を「話のネタ」として料理するのが楽しみで仕方なくなります。
 こうしてつらさや苦しみと同時に楽しさを味わうことで、自分の気分を絶望一色に染め切らなくて済むようになります。
 
 尿管結石の痛みで苦しんでいるときも、「後でどうしゃべってやろうか」「どんな文章にまとめてやろうか」と考えることで、前向きな覇気を引きずり出すことができました。
 インターネットにはとても書けないような深刻な事態に見舞われたときでさえ、いつか信頼できる人だけに話せるときのことを念頭に置きながら奮闘することができました。
 
 「苦しい中でも『苦境をネタに昇華する』ことを常に考えておく」というこのやり方は、その苦しい真っ只中のストレスの強度を少しだけ緩和する効果があったように思います。
 このストレス軽減法、興味があれば是非とも試してみてください。
 それでストレスが消え去ることはありませんが、少しはマシになるかもしれませんよ。
 
  
※当ブログの主なテーマは、この世界を支配する「正しさ」という言葉のプロレスとの付き合い方mrbachikorn.hatenablog.com

※そのプロレス的世界観を支えている「記述信仰」の実態を、簡単な図にしてまとめています。mrbachikorn.hatenablog.com