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間違ってもいいから思いっきり(市井人の日曜研究)

私たち人間は、言葉で物事を考えている限り、あらゆるものを「是か非か」と格付けする乱暴な○×ゲームに絶えず影響されています。ここでは、万人が強制参加させられているこの言語ゲームを分析し、言葉の荒波に溺れてしまわないための知恵を模索していきます。

悲しみ依存症からの脱却

 私が提唱する「会話≒白ごはん」理論とは、「会話の楽しみと人生経験」の関係を日本食における「白ごはんとおかず」の関係に喩えるもの。
 人生のもっとも基本的な楽しみを「会話」と見なし、すべての人生経験を会話のネタと捉えることで、どんな経験だろうと人生の楽しみに変換していけるという考え方です。 mrbachikorn.hatenablog.com
 
 そして前回の記事では、つらい経験や苦しい経験を辛い食材や苦い食材に喩えてみました。
 それは、そのままでは飲み込みにくく消化し難い経験であっても、工夫次第で充実した会話のネタに料理できると伝えるためです。mrbachikorn.hatenablog.com
 
 こうしたアイデアのベースとなっているのは、学生時代に見出だした「幸せのために最優先で取り組むべき課題は楽しみを生み出すことであり、人生におけるその他の要素は2番手以降の雑事に過ぎない」という自分なりの信念。
 そうやって人生の優先順位を整理していたおかげで「悩みも人生を楽しむための材料に過ぎない」と明快に割り切ることができ、これまで遭遇した苦境とも比較的前向きに向き合ってこれました。mrbachikorn.hatenablog.com
 
 ですが世の中には、楽しみを自ら生み出そうとはせずに悩みだけで自分をいっぱいいっぱいにしてしまいがちな人や、楽しみを優先せずに率先して自分を追い詰めておきながらひたすら深刻ぶりたがる人などが、少なからず存在しています。
 このタイプの人がする悩み相談は、その目的が「悩み自体を解消すること」から「安い同情を得続けること」に刷りかわってしまいがちです。
 
 これはまるで、不味いおかずをごはんで無理矢理かきこむような行為。
 話した本人は一時的に気を紛らわせることができても、不味い晩餐に付き合わされた相手は我慢を強いられることになります。
 それに、人生の辛味や苦味を美味しく料理しようと工夫しなければ、本人は不味いおかずと一生付き合うことになります。
 
 日本一企業顧問数の多い心理カウンセラーとして知られる衛藤信之は、このような典型的な症状を「なげき癖」とか「悲しみ依存症」という風に表現しています。

今日は、心をみつめる日。

今日は、心をみつめる日。

 新米の心理カウンセラーをしばしば苦しめるのもこの「悲しみ依存症」らしく、彼は自身のブログ記事の中で、なげき癖のある人と心理カウンセラーの双方に以下のようなアドバイスを送っています。s.ameblo.jp
 
「最悪」「悲しい」「不幸」「自分だけが」と言って嘆いている人が親切なカウンセラーに出会う。
いくら、カウンセラーが手を差し伸べても、現状を「なげくばかり」で、色んなアドバイスをしたとしても人生を前に向かわせない。
「私はこんなにツラい」と訴えるばかりで、解決の決断をしない。

フロイトは、人生を失敗する人は「いつも悩みたがる」と書いています。
こういう人は時間が「ある過去」で止まってしまっています。
 
人生の時間は限りがあり、この悩んでいる瞬間にも、人生の大切な時間が流れていることを知識としてわかっていても、感覚としてわかりたくないのです。
 
それは、周囲が「大変ね」と同情し、関わってくれることに意味を見出しているからです。
だから、誰かの援助を求めています。
そして、自分の思うようにならない現実や世界を恨んでいます。
 
その人にとって「こんなにツラい」「苦しい」と言うことが、無意識の中で唯一のストレスのハケ口になってしまっています。
簡単に解決してしまうと困るので、アドバイスは耳で聞いてはいても、心からは聴いていません。
相談者の心に届かないのです。
 
〜中略〜
 
こうして「私は簡単には解決できない」と泣き叫ぶ相手に、優しい心理カウンセラーの相関関係が出来上がります。
このような心理カウンセラーも「早く解決しなければ」と焦りがあります。
「早く解決しないと自分はダメなカウンセラーになる」という思いにせかされて、苦しむtypeのカウンセラーが多いようです。
 
だから「私は誰も救えない(あなたなんかに解決できないのよ!!)」と攻撃しながら、 前を向かない「悲しみ依存症」 の人にしがみつかれてしまう。
相手を助けようとして、一緒に深みに沈んで行くのです。
 
こんな場合、カウンセラーとして、気づかないといけない。
嘆いているのにどうして相手は前を向いて動こうとしないのか?
「苦しい」「ツラい」と言いながら、どうして、解決する意思を本人は見せないのか?
 
泣いていて、落ち込んでいて「大丈夫?」と声をかけてくれるのは親です。
親が子どもを愛しているから慰めてくれる。
 
「ツラい、苦しい、自分は価値がない」と言われ続けると、普通の人間関係では、いつかは誰もが逃げてしまう。
過去の苦しみにしがみついて「今」を生きようとしない人には、普通の人は去っていってしまう。
幼児性が強いから、誰に対しても「親代わり」を求めてしまう。
 
「私は生きることを楽しんでみます!」と言ったほうが、聞いていて誰もが清々しいし、明るい気持ちになる。
それをしないのは、周囲のことを考えていない。
相手の気持ちに無関心になって、周囲の出来事にイラだち「自分だけの過去」に生きています。
ある意味で自己中心的なのです。
相手に無関心と言えば言い過ぎかもしれないけど、僕はそう思っています。
 
「幸せなこと探してみます」と、言ったら、人は笑顔になるし、そのほうが好かれる。
でも、悲しみ依存症の人は、周りが同情してくれることにしがみつく。
 
好かれようとして、嫌われる。
泣いて注目を集め、周囲を心配させて振り回す。
悲しみながら、好かれようとするから、周囲は去って行く。
 
自分は「特別に悲しい」と訴え、周囲にいる親代理の誰かが、かまってくれることを、いつも求めてしまうのです。
何よりも自分の悩みを優先するのが、相手の心に対しては無関心な証拠なのだと思うのです。
 
有名な心理学者、G・ウエインバーグは、抑うつ期の人に、こうアドバイスするそうです。
「ある一定の期間、自分の問題について話すのをやめること。まず、一日やってごらんなさい。それから一週間。もし、不平を言うのをやめると、あなたは、自分自身について重要な発見をするかもしれません。抱えている問題を話すことは、しばしば抑うつな気分を刺激します。あなたが不平なことしか、しゃべらないから、あなたの人生はすべて不平以外のことは、人生に何もないと思ってしまうのです」
 
アドラーは「うつ病になる人は、毎朝、人に喜びを運ぶことを考えなさい」とアドバイスをしました。
「そうすれば、あなたのうつ病は、二週間で治るでしょう」とアドラーは断言しました。
 
うつ病になる人は、周囲のこと考えないで、自分の悩みの世界だけにひたっている。
すべては自分の悩みだけを優先させてしまう。
 
僕は思います。
泣いている時間、空を見よう!
「楽しいことは世界に、きっとある!」と人に呼びかけ、誰かに援助を与えよう!
 
悩んでいる人は空を見ない、草の中のクローバーを探す気にもならない。
風のそよぎが頬にあたっても感じることなども数年忘れてしまっている。
 
楽しいことは、あなたの世界にも、きっとある!
 
 ここでも繰り返し触れられていますが、楽しみとはみずから見出だすもの。
 「楽しいことがない」「自分が不幸なのは仕方ない」という捉え方は、「人生が充実するかどうかの責任を自分では負いたくない」という幼児性の現れでもあります。
 
 幸せのために最優先で取り組むべき課題は「楽しみ」を生み出すことであり、人生におけるその他の要素は2番手以降の雑事に過ぎません。
 「自分の人生を充実させる責任」は少々重たいものかもしれませんが、覚悟を決めて担いでみれば結構楽しいものですよ。
 
  
※当ブログの主なテーマは、この世界を支配する「正しさ」という言葉のプロレスとの付き合い方mrbachikorn.hatenablog.com

※そのプロレス的世界観を支えている「記述信仰」の実態を、簡単な図にしてまとめています。mrbachikorn.hatenablog.com