間違ってもいいから思いっきり(市井人の日曜研究)

私たち人間は、言葉で物事を考えている限り、あらゆるものを「是か非か」と格付けする乱暴な○×ゲームに絶えず影響されています。ここでは、万人が強制参加させられているこの言語ゲームを分析し、言葉の荒波に溺れてしまわないための知恵を模索していきます。

抱え込むな、パスを出せ

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 「日本の民俗芸能がいかに心踊る文化であるか」を舞台や講座などを通じて全国に伝えている歌舞劇団田楽座は、私にとっての心の師です。
 これまで私が田楽座から学んできたものは、和太鼓や踊りなどの芸能、その中で培われてきた自然な身体操作のコツ、そして「後世に大事なものを遺していこう」とする芸能の担い手たちの心意気などです。
 
 田楽座の言葉やそのふるまいから学んできた芸能の担い手としての精神性を、私なりの言葉で表現すると「抱え込むな、パスを出せ」ということに尽きます。
 全国各地の民俗芸能の担い手たちに今も師事している田楽座は、「自分のもらいを増やすこと」よりも「自分が受けてきた文化の恩恵を次の人々に引き継いでいくこと」を優先する伝承者としての精神性を身をもって体言しています。
 
 1964年から51年間活動を続けてきた田楽座は、地元に芸能を持たないような人にもそのエッセンスが少しでも感じられるようにと、「太鼓ばやし」「寄せ囃子」「海のお囃子」「海の太鼓」「山のお囃子」など、和のテイスト豊かな曲をいくつも創作し、全国の和太鼓チームの共有財産として提供してきました。
 その中でももっとも古い曲であろう「太鼓ばやし」は、今では全国の幼稚園・保育園・小学校にまで広く普及しています。
 
 しかし、田楽座と出会ってからの13年間で「太鼓ばやし」の講座は一度も開かれなかったので、私には「太鼓ばやし」についての知識がほとんどありませんでした。
 今年になって「再起動・太鼓ばやし」という講座が田楽座によって開かれたので、そこで初めて太鼓ばやしについての公式見解を知ることができた次第です。
 
 そんな「太鼓ばやし」にまつわる経緯や思い入れなどが田楽座が発行している会報に詳しく書かれており、そこには「抱え込むな、パスを出せ」を地で行く田楽座の普段からのスタンスがにじみ出ていました。 
 以下に引用して紹介しますので、占有より共有を優先する人々のこだわりを是非感じとってみてください。
 
【なぜ今「太鼓ばやし」なのか?】
 
●「太鼓ばやし」はどうして生まれたの?
田楽座員が岐阜県串原村の中山神社のお祭りに行き、録音してきた中山太鼓の曲調からインスピレーションを受けて創った、と聞いています。
「中山太鼓を元に…」という説明だけがなぜか一人歩きしてしまっているので、中山太鼓の地元の方をはじめ、いろんな方を混乱させてしまってますが、直接的な関係はありません。
作曲当初の太鼓ばやしには、笛のメロディーはなく、リズムも繰り返しが違うなど、いま普及している太鼓ばやしとはだいぶ違う形の楽譜が残っています。
 
●笛のメロディーは誰が作ったのですか?
四日市青年合唱団の方です。
愛知県で「日本うたごえ祭典」があったときに、田楽座の太鼓ばやしを元に、笛のメロディーをつけて合同曲として演奏したものが、全国に普及したようです。
 
●これまで講座をしてこなかったのは?
太鼓ばやしを、本家本元の田楽座にきちんと習いたい、というニーズはあったと思うんですが、皆さんが習いたいのは一般に広く普及しているバージョンで、座としては自分たちが作った形じゃないものを教えにくかったんですね。
最近になって「広く普及したものは、それはそれで愛され定着しているひとつの文化ではないか」と。
普及しているバージョンの太鼓ばやしを、田楽座の公式見解にしてもいいのでは、と考えられるようになりました。
笛を作曲した四日市青年合唱団に、当時在籍していた方にもお話を聞き、講座をしたいという話をしたら「もともと田楽座の曲ですから自分達は何も…」と快諾していただきました。
 
●講座にあげるにあたって苦労したことは?
全国に普及してるといっても、打法や構成は各地域、各チームそれぞれですから、「何を田楽座流にするか?」は議論がありました。
あまり細かく決めすぎてもすでに普及しているものを否定することになりますし、逆に決めなさすぎると、太鼓ばやしのアイデンティティがなくなってしまいます。
「何が太鼓ばやしなの?」「太鼓ばやしらしさって何?」というのは、座内でもちょっともめしたね。
表面的な衝突はないけど、自分がこうだと思ってる打ち方は変えない、みたいな(笑)
 
●「らしさ」ってどういうことでしょう?
どんな太鼓にも芸能にも、「その曲をその曲らしくしている何か」があるんですね。
過去から伝統のない太鼓ばやしのような創作曲の場合は、「これが太鼓ばやしらしさです」と断定するのが難しい。
でもやはり、なぜその曲が愛され演奏されているのか、他の曲には替えられない独自の魅力や利点は何なのか、と考えると見えてきます。
 
●曲が変化することをどうとらえていますか?
民俗芸能の魅力のひとつは、愛着を持って様々な世代に引き継がれ、磨かれた「結果の美」です。
「こう変えたほうが面白い」という改革派と、「昔からの形がいちばんいい」という年寄りや保守派とのせめぎあいの中から、民俗芸能の魅力が搾り出されてきたのだと思います。
そういう視点を田楽座も学んで来ましたから、自分たちが創る曲も変化するものだし、むしろ変化するべきだと思っています。
 
●10年後、20年後の海のお囃子や山のお囃子は、今とは違う?
そう思います。
新曲を創作した際にも、依頼者の方に「いい曲に育ててください」とお渡ししてます。
いろんな方に演奏された結果、どんどんいい曲に育っていく。
そういう曲は、きっとこの先も何十年も演奏され続けていくと思います。
 
 つまり、現在全国に普及している「太鼓ばやし」は、田楽座が作曲した当時のオリジナルとは別物だったわけです。
 ですが、自分たちが意図したのとは別の形で普及している姿を見て「著作権の侵害」を訴えるでもなく、「広く普及したものは、それはそれで愛され定着しているひとつの文化ではないか」と許容できるのが、民俗芸能と向き合い続けてきた田楽座らしい懐の深さです。
 
 普通ならば「自分たちが最初に作ったオリジナル以外は邪道だ」とか「これから自分たちが認めるものだけが正式だ」 などと、曲の所有者としての権利を堂々と行使しても良さそうなもの。
 ですが、田楽座が優先しているのは、これまで全国で「太鼓ばやし」を打ってきた担い手たちの実績を尊重したいという想いの方なのです。
 
 このように「みんなの共有財産がよりよく共有されていくために作曲者たる自分たちはどんな役割を果たすべきか」と当たり前に考えられる伝導者としての謙虚な姿勢こそが、ついつい応援してしまいたくなる田楽座の魅力でもあります。
 そんな田楽座に惚れ込む私自身も、日本各地に伝わる民俗芸能の味わい深さ、それを素敵な舞台に乗せて世に伝えようとする田楽座の心意気を、より多くの人々に伝えられるようなパスを出し続けていきたいと願っています。mrbachikorn.hatenablog.com
 
 
※当ブログの主なテーマは、この世界を支配する「正しさ」という言葉のプロレスとの付き合い方mrbachikorn.hatenablog.com

※そのプロレス的世界観を支えている「記述信仰」の実態を、簡単な図にしてまとめています。mrbachikorn.hatenablog.com