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間違ってもいいから思いっきり(市井人の日曜研究)

私たち人間は、言葉で物事を考えている限り、あらゆるものを「是か非か」と格付けする乱暴な○×ゲームに絶えず影響されています。ここでは、万人が強制参加させられているこの言語ゲームを分析し、言葉の荒波に溺れてしまわないための知恵を模索していきます。

それが偽物でも愛せますか

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 以前紹介した田島隆というタンバリン奏者は、自作のタンバリン一つでドレミのメロディを奏でたり、ドラムセットの音色まで表現するという、超絶プレイヤー。
 そんな彼が「世界一怪しく胡散臭いですが世界一安全で幸せな場所を目指します」という変わったテーマで行っている舞台が「タンバリン教」です。
mrbachikorn.hatenablog.com
 
 こんなテーマを取り扱おうと思った彼の問題意識は「世の中の殆どが等身大ではない」ということ。
 世の中には沢山作るためのいろんな工夫や、良く見せるためにいろんな工夫などあり、食物や着物や人や音楽や仕事などすべてにおいて、不自然な物が自然とアナウンスされ、偽物なのに本物とアナウンスされているものが多すぎるために、本物とアナウンスされているものにこそ安心できない世の中になってしまったという懸念が彼を、胡散臭さの追究へと追い立てました。
 
 言うならばこれは、「本物だから選ぶ」だとか「自然だから選ぶ」だとか「良いとされているから選ぶ」という風に、どこかで定まっているであろう基準に従ってしか選択ができない人がうじゃうじゃ溢れている世の中へのアンチテーゼです。
 自分自身の極々個人的な基準で「好きだから選ぶ」と自信を持って言える人ならば、本物かどうかだとか、自然かどうかだとか、良いとされているかどうかなんて「外注の基準」に惑わされるはずがありません。
 そのような「外注の基準」に振り回される愚かさを分かりやすく風刺し、代替案として「たとえそれが偽物だろうが自分好みの世界を選びとっていった方が幸せじゃないか」という積極的なメッセージを発信することがこの「タンバリン教」の目的なんでしょう。
 
 卑近な例ではありますが、福岡の居酒屋に私の大好物の「ひつまぶし」という料理を出す店があります。
 ひつまぶしとは本来名古屋名物のうなぎ料理なんですが、私が好きなのは福岡の居酒屋でアレンジされ過ぎてしまい、もはやうなぎ料理でもなくなってしまったオリジナルとは似ても似つかない「ひつまぶし」でしかありません。
 ですが私は、それが本物だろうが偽物だろうが、福岡で食べる「ひつまぶし」の方が断然好きだからそれを食べ続けていくでしょう。
mrbachikorn.hatenadiary.jp
 
 世の中には、根拠のよくわからない与太話をそれっぽい話に仕上げてお金をまきあげる錬金術師が、それこそ無数にいます。
 その人の話す物語があなたにとって心地好く、その空間にいることがあなたの幸せに繋がっていると感じられるなら、それが本物だろうが偽物だろうが付き合いを持てば良いでしょう。
 
 ですが「この人が本物のはずだから多少の違和感は呑み込んでもついていく」なんて思っているのなら、好き嫌いという自家製の基準をもう少し尊重してあげてはと心配になってしまいます。
 それが本物じゃないとか自然でないと分かったときに「偽物だから」だとか「自然じゃないから」なんて理由で切り捨ててしまえる人は、結局のところ好き嫌いという自家製のセンサーが発達していないということなので、いつまた別の「本物もどき」にひっかかってしまうか分かりませんからね。

 
※毎週日曜日に更新している当ブログの主なテーマは、この世界を支配する「正しさ」という言葉のプロレスとの付き合い方。
mrbachikorn.hatenablog.com
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そのプロレス的世界観を支えている固定観念の源を「記述信仰」と名付け、その実態を以下のような図にまとめて解説しています。

 
※そうした知恵を実践している私なりの生き様をサンプルとして提供するために、こちらのブログで毎日更新しています。
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