間違ってもいいから思いっきり(市井人の日曜研究)

私たち人間は、言葉で物事を考えている限り、あらゆるものを「是か非か」と格付けする乱暴な○×ゲームに絶えず影響されています。ここでは、万人が強制参加させられているこの言語ゲームを分析し、言葉の荒波に溺れてしまわないための知恵を模索していきます。

どうせなら背中で語ろう

給食残してしかられた
俺の体を本当に心配してたのか
嫌いなもの口につめこまれた
常識的な発言と非常識な行動だ
うまけりゃ喰う

 これはザ・ハイロウズの『ゲロ』という曲の冒頭の歌詞です。
 ここには「あなたのため」という大義名分のもとに、嫌いなものを無理矢理詰め込まれてしまう人々の不満が描かれています。

バンドスコア THE HIGH LOWS/ロブスター (スコア・ブック)

バンドスコア THE HIGH LOWS/ロブスター (スコア・ブック)

 

 元歌の方では、この後に「まずけりゃ吐くぜ、遠慮なく吐くぜ」と、力強い拒絶のメッセージが続いていきます。
 しかし、幼い子どもたちの多くは支配の現実にそこまで強い抵抗もできず、自分にとっての「まずいもの」でもしぶしぶ飲み込むハメになっています。

 大人の立場から言えば、たとえしぶしぶであってもとにかく飲み込ませてしまえば、それらの「まずいもの」はその子の血肉になるはず。
 食べ物は栄養になりますし、勉強は教養や受験の武器として将来のためになりますし、倫理観やマナーなどはその社会で適応するために必要となります。

 ですが、当の子どもたちには「まずいものを無理強いされた」という印象の方が先に刻まれてしまいます。
 「常識的な発言と非常識な行動だ」という歌詞にもあるように、本人が心から望まなければどんなに価値のあるものだろうが「不愉快な支配の象徴」でしかありません。
 
 自立心が弱く支配に屈服している間はそれらの「まずいもの」を表面的に受け入れるかもしれませんが、そうした負の感情は「大人たちが勧めたがる価値」に対するブレーキとして働きます。
 その反動は、体に良いとされる食べ物ほど受け付けず、大切とされる勉強には見向きもせず、しまいにはグレて社会的規範を無視するという態度になって現れることもあります。

 また、こうした大人からの支配に対して、子どもが反抗の意志を表明できているのならまだマシな方。  
 もしその子が「自分がまずいと思っているもの」であっても「良いとされているもの」なら我慢して受け入れる「良い子」をいつまでも演じているのなら、発散されることなく蓄積した負の感情はその子を密かに蝕み続けているはずです。

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 子どもの教育に関わる大人たちにとっての一番の理想は、子どもたち自身が勝手に「大人が良しとするもの」に興味関心を抱いている状態。
 しかし、子どもたちが自然と大人たちの望み通りになることはなかなかないので、それを不安に思う大人たちはついつい「自分が良しとするもの」を教え込もうとします。
 そのおかげで、子どもたちの興味の質は「大人からの不愉快な支配を上手くやりすごす」という後ろ向きなものになってしまいます。

 ですから、大人の理想通りに「子どもに前向きな興味を持って欲しい」と願うのならば、「目を向けて欲しいこと」について余計な干渉をしないのが最良の選択になります。

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 それで子どもたちが「世間で良しとされるもの」に前向きな興味を持つのかと言えば別に何の保証もありませんが、少なくとも「良しとされるもの」を「不愉快な支配」とセットで突き付けることだけは避けられます。
 
 これはあくまでも、興味のスタートラインをマイナスにしてしまわないための大前提。

 そこから子どもたちがどんなジャンルに「湧き上がるプラスの興味」を持つかはあくまでも本人の問題であって、他人に決定できることではありません。

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 ただ、私たち動物に備わった生存の本能は、現に「快適に生きている同類」の行動を見習うことで、自らの生存の可能性を高めようとする傾向を持っています。

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 私たちの興味関心が「楽しそうにしている人」の姿に触発されることが多いのも、この生存の本能が働いているからです。

 

 コンピューターゲームにばかりハマってしまう子どもが増えているのも、結局はこの生存の本能が活発に働いているため。
 文明社会のがんじがらめの圧力に支配されてストレスを感じている子どもたちにとって、ゲームはその現実の支配から一時期に逃れたような気分になれる貴重な場所なのです。 

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 このゲームへの逃避行動を「うまいもの」だと捉える友達が身の回りにいれば、その「うまそうにしている様」に生存の本能が触発されて、ゲームに対して前向きな興味を持つ可能性も高くなります。
 逆に言えば、子どもが「世間で良しとされるもの」に前向きな興味をなかなか示さないのは、そもそもそれらに前向きな興味を抱いている「生き生きとした大人」が身の回りにほとんどいないからです。
 
「自分は嫌いだけど健康に良いから食べさせねば」

「自分は苦手だけど大事だから勉強させねば」

「自分もしぶしぶ従ってきたけど、やっぱりマナーや道徳だけは身に付けさせねば」

 こんな姿勢の大人たちが頻繁に子ども関われば、まず伝わるのはその人の「実は好きではない」という感情の方であり、次に伝わるのは「自分でも嫌だと思っているものをこちらに押し付けようとしている」という支配の現実です。 
 まっとうな生存の本能が、そんな「まずそうなもの」をすすんで受け入れるはずがありません。

 したがって、子どもが前向きな興味を抱く可能性を高めたいのなら、まずは子に関わる大人自身がそれを「うまいもの」だと感じること、そしてその大好物を決して子どもに押し付けることなく、ただ自らがうまそうに味わうことです。 
 実際、知的好奇心が旺盛な親のもとで触発されながら育った子は、特に「勉強しろ」などと強制されなくても学校の勉強でも好成績を上げる傾向があることが知られています。 

 だからといって、子どもの前でだけ知的好奇心があるようなフリだけして見せても、その演技の裏にある「どうにかして子どもをコントロールしたい」という支配欲は簡単には隠せないので、「前向きな興味の触発」という観点からは逆効果になる可能性が高いでしょう。
 大人自身が「その姿に子どもが触発されるかどうか」なんてことがどうでも良いくらいにハマり込んでみて初めて、それを見て「なんだかうまそうだ」と関心を持つ子が現れるのだと思います。

 私は数学好きが高じて高校で数学の教師をしていますが、すべての子どもたちが数学に対して前向きな興味を持つ必要なんてないと思っています。

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 だから、子どもたちに「数学の面白さを分からせる」といった興味の押し付けを授業の中でしようとは思いませんし、興味の触発に関しては「世の中には数学を楽しんでいる人もいる」という事実を自分の姿を通じて示すだけで十分だと思っています。

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 その上で、好きでもないのに数学を勉強しなきゃいけないという大多数の生徒の苦悩に共感しつつ、彼らが必要な範囲で数学を習得するためのサポートに徹しています。  

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 また、和太鼓好きが高じて初心者向けの和太鼓体験などもしていますが、そこでは「楽しむための和太鼓」のみを追及することにしています。
 生真面目な日本人の気質なのか、いざやり始めると「間違わずに上手に演奏すること」や「そのためのストイックな姿勢」を周囲に押し付け始める人もでてきますが、私の主催する場所では「多くの人が楽しむ邪魔になるならそんな真面目さはいらない」という方針を打ち出すことでそうした仲間内での圧力の発生を予防することにしています。
 そんな場の雰囲気に触発されたのか「和太鼓の技術は未熟でも思いっきり感情豊かに演奏するのは得意だ」という人が何人も現れ、熱心にハマりこんだオマケとして技術も後から伸びていってます。

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 人は「うまけりゃ喰う」生き物です。
 まずそうにしている人からの説教なんて、仮に支配力があったとしても説得力はありません。
 何かを人に勧めたいのなら、自らの背中で語るのが一番の近道ではないでしょうか。