間違ってもいいから思いっきり

私たち人間は、言葉で物事を考えている限り、あらゆるものを「是か非か」と格付けする乱暴な○×ゲームに絶えず影響されています。ここでは、万人が強制参加させられているこの言語ゲームを分析し、言葉の荒波に溺れてしまわないための知恵を模索していきます。

人権思想もハラスメントの乱立も立派な武器

 すべての人間は生まれながらにして侵害されてはならない権利を有しているというのは、誰かが思い付いた作り話です
 ですがこのフィクションのあらすじは、フランス革命をきっかけとして西洋社会を中心に広まっていき、今現在の国際社会では無視することのできない強大なストーリーへと成長しています。
mrbachikorn.hatenablog.com
 
 こうした「人権思想」も含むいくつもの作り話の積み重ねの上に成り立っているのが、私たちの生きる人間社会です。
 そんな人間社会を生きていくのに必要な知恵とは、身の回りではどの作り話がどれだけの力を持っているのかという「力関係の情勢」を察知し、その圧力の荒波に食い殺されてしまわないように気を付けておくことです。
 
 そういった意味で、前回は日本における育休と人権の話題を取り上げました。
 そのときまとめたラフスケッチは以下のようなものです。
mrbachikorn.hatenablog.com
 
近代以前の封建的な支配の現実への対抗手段として「人権とはすべての人間が生まれながらにしてもっているものであり、その普遍的な人権を侵害する行為は許されるものではない」という方便が生まれ、この聞こえの良い大義名分を武器にのし上がった近代国家群が世界を席巻するようになった。
 
この「天賦人権説」を尊重しているようにふるまわないと相手にしてもらえなくなるような圧力が欧米を中心に広がっていき、日本もその圧力に巻き込まれて表向きは「天賦人権説を尊重する」という立場をとるようになった。
 
それによって「最低限の生存権が保障されている比較的マシな国だ」と見なされるようになってきた日本だが、女性の権利、子どもの権利、労働者の権利といった諸々の件で「まだまだ遅れている」とお叱りを受けることも多い。
 
日本においてリベラルと呼ばれる人々は、こうした国際的圧力を背景に「天賦人権説を蔑ろにするとは何事だ」といった綺麗事を恥ずかしげもなく口にする傾向がある。
 
保守と呼ばれる人々は「天賦人権説は近代における新たな支配体制のための建前・フィクションに過ぎない」という本音ベースの共感力を武器に、日本が公式には天賦人権説を尊重する立場にあることを軽んじるような言動をとる傾向がある。
 
 このまとめを通じて私がまず言いたかったのは、どの立場にも「客観的な正しさ」という次元でのアドバンテージはないということ。
 私たち人間は意図的にしろ無意識のうちにしろ、自分が巻き込まれてきた世界の力関係に応じて、それぞれが「支持する立場ごとの作り話」を演じているに過ぎないということです。
mrbachikorn.hatenablog.com
 
 この手の作り話の最大手はもちろん「人権」ですが、この物語が創作されたおかげで「人権侵害」というレッテル貼りの技術が普及し、そのおかげで生命の危機や理不尽な支配から逃れられる人が増えたという功績があります。
 大事なのはその「お話」によってどんな変化が生まれるかという効果の方であり、その話がこの世の真理だろうが誰かが思い付いた作り話だろうがそんなことは大した問題ではないというのがその次に言いたかったことです。
mrbachikorn.hatenablog.com
 
 このように、現象に名前をつけ、それに合わせてストーリーを築いていけば、影響力次第で世の中も変わっていきます。
 そして、レッテル貼りの王様である「人権侵害」のバリエーションとして、今もなお次々と発明されているのが「~~ハラスメント」というレッテル貼りです。
 
 パワハラ、セクハラが定義づけられたからこそ、部下の嫌がる行為の一部を上司が控えるようになりました。
 アルハラが定義されたおかげで、アルコールの強要による苦痛を受けずに済む人がだんだんと増えてきました。
 そして、マタハラという言葉によって「子どもができたら退職を無理強いさせられる」といった問題が定義され、まだ改善されてはいないにしろ「問題だ」という意識は広まりつつあります。
 
 こうして次々と開発されていく新造のハラスメントに対して、「なにかにつけて『ハラスメント』と言われるようになったためにやりにくくなった」と苦情を付けたがる人も、世の中には数多く存在します。
 その中には、世の中はでっちあげの綺麗事のように上手くは行かず、そんな理想論を無視した方が現実的に上手くいくんだという本音まじりの言い分も幅を利かせています。
 
 これは、どちらが正しいという話ではなく、どちらの圧力が優位にことを進められるかという「単なる戦争」です。
 人権侵害もハラスメントもただの作り話でしかありませんが、この種の戦争を戦うための立派な武器ではあります。
 どちらの陣営の味方をするか、どの陣営とも距離を置くのか、なんてことはそれぞれが好みや立場に応じて勝手に選べばいいでしょう。
 
 最近では「繊細チンピラ」や「クソバイス」といった造語による新たなレッテル貼りも、不快な攻撃から身を守るための武器として開発されています。
mrbachikorn.hatenablog.com
 そしてこうした「武器としての作り話」や「武器としてのレッテル貼り」は、これから先もどんどんと作られていくことでしょう。
mrbachikorn.hatenablog.com
 
 このように、私たちの世界が作り話で埋め尽くされていくこと自体は、特に嘆くべきことではありません。
 なぜって、そもそも私たちが言葉を使って考えているようなことはすべて、過去に作られてきた作り話の再利用や組み合わせでしかないんですから。
 
 「作り話でない本当の話がどこかにあるはず」「客観的な正しさ」といった『真理』の概念自体が、この「単なる戦争」を戦うための武器として発明された作り話。
 作り話であることを嘆いてしまう癖そのものは、『真理』という巧妙な大量洗脳兵器の圧力に負けている証拠なんです。
 
 
※当ブログの主なテーマは、この世界を支配する「正しさ」という言葉のプロレスとの付き合い方。
mrbachikorn.hatenablog.com
mrbachikorn.hatenablog.com
そのプロレス的世界観を支えている固定観念の源を「記述信仰」と名付け、その実態を以下のような図にまとめて解説しています。