間違ってもいいから思いっきり(市井人の日曜研究)

私たち人間は、言葉で物事を考えている限り、あらゆるものを「是か非か」と格付けする乱暴な○×ゲームに絶えず影響されています。ここでは、万人が強制参加させられているこの言語ゲームを分析し、言葉の荒波に溺れてしまわないための知恵を模索していきます。

のほほんと気楽に生きる方法

 文明社会を生きる人間がのほほんと気楽に生きていられなくなってしまう主な原因は、さまざまな言葉の指し示す内容を真に受け過ぎてしまうから。
 その中でも、○か×かのレッテルを貼り付ける「善悪」の概念は、どんな物事にも大袈裟な意味を与えてしまうその性格のせいで、真に受けた人々を必要以上に振り回して無駄に消耗させています。
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 そこで、無駄な消耗を避けるために私が実践しているのは、好き嫌いや上手い下手といった日常的かつ等身大の概念を用いて「善悪」という大袈裟過ぎる方便を解体してしまうこと。
 善悪という言葉は、発言者が好ましいと感じる方向に聴き手を手懐け、嫌いな相手を徹底的に追い込むために造り上げられた、人心操作専用の言わば「洗脳兵器」です。
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 このパワフルな洗脳兵器を教育の場面で子どもに知識やスキルを身に付けさせるために利用してしまうと、「上手いか下手か」という巧拙の程度問題と「良い子か駄目な子か」という人格の優劣の話との区別がつけられずに、「上手くいかないのは自分が駄目だからだ」「失敗すれば人格が認められない」と怯えて生きる被害者が生まれてしまいます。
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 そう考えていけば、善悪の基準で「自分は悪かった」などと観念的に自己嫌悪したり罪悪感を感じたりするのは純粋な時間の無駄。
 自分の行為が望まない結果を招いてヘコんでしまったときは、巧拙の程度問題として「自分は下手だった」とだけ捉えて「今より上手くなるにはどうすればいいか」と具体的に反省すればいいことです。
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 とは言っても、一度でもしっかりと定着してしまった思い込みから抜け出すのはなかなか大変な作業。
 子どものころから刷り込まれてきた善悪の概念に、どうしても囚われてしまうという人も多いでしょう。
 そんなとき、善悪という固定観念から抜け出すのを邪魔しがちなのが「許せない」「間違ってる」という感情論の存在です。
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 善悪という洗脳兵器は、それが自分を攻撃してくる場面においては厄介な存在ですが、気に入らない他者を攻撃したくなったときには力を貸してくれるありがたい存在です。
 ですから、善悪の概念を徹底的に解体してしまったら「正論のふり」という感情の隠れ蓑がなくなるため、怒りに任せて「許せない」「間違ってる」などと大袈裟にバッシングできなくなってしまいます。
 だって、その人が「悪」だと断罪したがっている対象もただ単に「誰も不快にさせない程に上手ではない」というだけの話に過ぎず、実際には「ただ下手なだけで悪でも何でもない」という結論にしかならないんですから。
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 つまり、他者を攻撃する手段としての「善悪」を手放したくない人は、その洗脳兵器の威力によって自分も巻き添えになって消耗してしまうことを避けられないということです。
 もし、気に入らない相手には文句を言いたいのであれば、「嫌い」とか「不快だ」といった個人的な感情の枠内の話として伝えればいいだけのこと。
 それだけのことなのに、善悪なんて方便を真に受けて「許せない」だとか「間違ってる」なんて大袈裟な表現を下手に持ち出すから、のほほんと気楽に生きられなくなっているのです。

許せないという病 (扶桑社新書)

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※毎週日曜日に更新している当ブログの主なテーマは、この世界を支配する「正しさ」という言葉のプロレスとの付き合い方。
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そのプロレス的世界観を支えている固定観念の源を「記述信仰」と名付け、その実態を以下のような図にまとめて解説しています。

 
※そうした知恵を実践している私なりの生き様をサンプルとして提供するために、こちらのブログも毎日更新しています。
mrbachikorn.hatenadiary.jp