間違ってもいいから思いっきり

私たち人間は、言葉で物事を考えている限り、あらゆるものを「是か非か」と格付けする乱暴な○×ゲームに絶えず影響されています。ここでは、万人が強制参加させられているこの言語ゲームを分析し、言葉の荒波に溺れてしまわないための知恵を模索していきます。

自粛するもしないも本人の勝手

 熊本地震が2016年2月14日に起こってから今日で3日目。
 テレビでは報道番組のCMがACのものに差し替えられたり、SNSでは警告やお役立ち情報や政治的な主張などが溢れたりと、東日本大震災のときに一度見たような光景が次々と現れました。
 こういった諸々の事象が積み重なって、5年前には集団心理という巨大な2次災害が日本を覆っていたように記憶しています。

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 ですが、今回の熊本地震における集団心理災害は、5年前よりも格段にマシになっているように感じます。
 それが顕著に表れているのが、以下に引用するような「著名人による熊本地震での自粛ムードへの苦言」です。
 
実業家の堀江貴文氏が16日、同日に生出演する予定だったネット番組「坊主麻雀」が、熊本地震への配慮で延期されたとして、ツイッターで「バラエティ番組の放送延期は全く関係無い馬鹿げた行為」「アホな放送局だ」との批判を展開。番組の優勝賞金の500万円を「被災地に全額寄付して、番組は中止に」と迫った。
この日、放送局側が番組の放送延期を決めたことに、堀江氏はツイッターで「熊本の地震への支援は粛々とすべきだが、バラエティ番組の放送延期は全く関係無い馬鹿げた行為」「おめーらが自粛した所で被災者が助かる訳では無いんだがね。テレビ東京の爪の垢を煎じて飲め」と厳しい文調で批判した。
堀江氏は「俺たち地震の被害を受けてないものは出来るだけ普段通りの生活をしながら無理せず被災者支援を行うのが災害時の対応だろう」との持論を展開した。

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熊本地震を受け千葉県浦安市東京ディズニーシー(TDS)で開園15周年記念イベントのオープニングセレモニー中止や、東京都内でも会見の中止やイベントの自粛が相次いだが、これに本田は「僕は自粛するのは間違ってると思います」ときっぱり。
「こういう時だからこそ、各々に与えられた役割を行動に移すことが求められているんじゃないでしょうか」と疑問を投げかけると、「多くのケースの場合は被災者の為ではなく『商品が売れなくなる』、『批判をされるから』という理由で自粛してるのなら、それはありえない」と持論を展開。
最後に「本当に被災者らのことを思うなら、自粛どころか積極的にやるべきでそれを通じて何ができるかを考えたほうが良いんじゃないでしょうか」と訴えかけた。

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 こうした発信は、5年前の東日本大震災直後には見られなかったもの。
 この違いは単純に「被害の規模の違い」から生まれているのかもしれませんが、それよりも「5年前の愚かな悲劇に対する反省」という要素の方が大きいように思います。

 
 5年前に目立っていたのが、人や企業が通常通りの活動を行うことに対して「非常時には不謹慎だから自粛しろ」といったバッシングを浴びせる行為です。
 本来なら、自粛しようが自粛しまいが本人が自分の気分や考えで勝手に決めればいいこと。
 ですが、あたかも「自粛するのが当然であり正義だ」とでもいうような言説が蔓延してしまい、そうした圧力によって人々が自分のペースで生きていくことが阻害され続けたのでした。

  

今回紹介したホリエモンや本田の発言の真意は「自粛を強制されているという勘違いを捨てろ」という点であり、「誰であろうが自粛するやつは許さん」という意味では決してないんだろうと私は受け取っています。
 「馬鹿げた行為」だとか「自粛するのは間違ってる」などと自粛する派を責めるような口調になってしまっているのは、自粛する派が過去に犯してきた自粛しない派へのバッシングに対する反動のようなものでしょう。
 こうした強い反動によって、逆に責められる立場に陥ってしまった自粛する派を擁護したのが、以下に引用する尾木ママです。
 
尾木ママ地震発生以後、民放各社がバラエティー番組の放送延期、中止など自粛ムードがあることについて「水も食料もなく避難所にも入れないでグランドで寒さのなか身を寄せあっておられるたくさんの被災者の皆さん」がいる状況では、「普段通りの楽しい番組構成にブレーキかかるのあまりにも当然!人間らしい共感能力あれば自粛して工夫しょうとするのはあまりにも当然!」とつづり、“番組自粛”という対応は「人として豊かな心遣いではないでしょうか」と私見を述べた。

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 この尾木ママの反論は、ホリエモンや本田の発言を言葉通りに「自粛しないことを強要するもの」と受け止めたが故に起きたもの。
 自粛しない人が自粛しないことについてとやかく言われたくないのと同じように、自粛する人の方も自粛することをとやかく言われたくはないのです。
 結局のところ、衝突の源となっているのは「自粛することの強要」や「自粛しないことの強要」であり、要点は「自粛の有無」ではなく「強要の有無」なんです。
 
 5年前が異常だったのは、自粛することを強要する勢力が強過ぎたために、自粛したくない派の肩身があまりにも狭かったこと。
 今回は、自粛しない派が反論する力を蓄えたことによって、自粛する派も自粛しない派も各々の言いたいことを比較的自由に言いやすくなっています。
 そんな様子を見ていると、5年前の愚かな悲劇も無駄ではなかったのだなと感慨無量です。

 
 
※当ブログの主なテーマは、この世界を支配する「正しさ」という言葉のプロレスとの付き合い方。
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そのプロレス的世界観を支えている固定観念の源を「記述信仰」と名付け、その実態を以下のような図にまとめて解説しています。

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