間違ってもいいから思いっきり(市井人の日曜研究)

私たち人間は、言葉で物事を考えている限り、あらゆるものを「是か非か」と格付けする乱暴な○×ゲームに絶えず影響されています。ここでは、万人が強制参加させられているこの言語ゲームを分析し、言葉の荒波に溺れてしまわないための知恵を模索していきます。

人類を左右し続けるパーソナルマトリックス

 今回は「パーソナルマトリックス」という概念を導入することで、「他人を説得する」という行為の原理について考えてみたいと思います。
 これから提案する「パーソナルマトリックス」とは、人間が持っている意識のこと。
 私の考案する意識モデルのアイデアを分かりやすく伝えるために、映画『マトリックス』の世界観を借りてこう名付けてみました。 

マトリックス 特別版 [DVD]

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 映画『マトリックス』は、人間との戦いに勝利した機械が人間たちを支配する世界を描いています。
 機械は人間たちを培養カプセルの中で眠らせて、皆に「共通の夢」を見せることであたかも現実世界で生きている様な感覚を与えています。
 そこで機械が準備した人間のための仮想現実こそが「マトリックス」と呼ばれるプログラムです。
 
 これはSFの中のお話ですが、実はこの「マトリックス」と似たような現象が我々の脳内でも繰り広げられています。
 それが意識です。
 私たちの持つ意識は、人類の脳が歴史とともにアップデートを繰り返してきたシミュレーションのプログラムです。
 このプログラムは、脳内に造り上げた〈私〉という架空の主人公に意識という仮想現実を見せています。
 そしてこの仮想現実のクオリティーが向上するとともに、いつしか〈私〉という自我のプログラムは己がその身体の主であるかのような錯覚を覚えるようになりました。

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 映画の「マトリックス」との一番の違いは、その仮想現実の空間が共用スペースではなく、それぞれに別個なプライベートスペースだということ。
 そのような一人一人にとっての仮想現実の空間のことを、ここでは「パーソナルマトリックス」と呼ぶことにします。
 
 このパーソナルマトリックスのプログラムを可能にしているのは神経系による「喩え」の機能です。
 人間は言葉を獲得することによって膨大なバリエーションの比喩を造り出せるようになり、その豊富な「喩え」のおかげで意識という特異なプログラムを脳内に編み出すことができました。
 つまり、私が生きている「この世界」は脳が自分で造り出した比喩の世界であり、他の誰とも共有していないオーダーメイドの一点ものなのです。

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 人は皆、それぞれのパーソナルマトリックスという幻の世界を生きているに過ぎない。
 脳科学の分野において、このような知見は特に珍しいものではありません。
 大きな本屋さんに行けば、類似の見解を述べた文献がいくらでも見つかるでしょう。

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 今回の目的はそれらの知見を紹介することでなく、その先の問題である「セルフマトリックスを生きるとはどういうことか」を伝えることにあります。
 私たち人間は、いつの時代からか「言葉は(皆が共有している)現実世界を記述するためにある」という造られたフィクションに洗脳されるようになりました。
 その洗脳が最も顕著に現れてしまうのが「他人を説得する」という場面です。
 
 例えば、あなたの意識と私の意識は別の脳が造り出した全くの異世界なので、「あなたの世界がどうなっているか」を私が把握するのは原理的に不可能です。
 ですが、「言葉は現実世界を記述するためにある」と信じ込んでいる人は、「共有の世界がどうなっているのか」と説明するふりをして他人の在り方を左右しようとします。
 このとき実際に行われているのは「共有する現実世界の記述」なんかではなく、相手のパーソナルマトリックスに対する「比喩の植え付け」です。
 
 そもそも言葉自体に比喩を造り出す作用が必ず付きまとうので、言葉を発する際に起こる「比喩の植え付け」現象はどうあがいても避けることができません。
 もちろん「今あなたに読んでいただいているこの文章」自体も私たち人間の「共有する現実世界の記述」ではなく、著者である私から読者であるあなたへの「比喩の植え付け」でしかあり得ません。
 
 まさにここに「パーソナルマトリックスを生きるとはどういうことか」 を理解している人とそうでない人との違いが現れます。
 「言葉は現実世界を記述するためにある」というフィクションを真に受けた上で「事実を語る」ような言い方をしてしまうと、それは「比喩の植え付け」という説得の側面をオブラートに包んだ騙し討ちの洗脳工作になってしまいます。
 ですが 「比喩の植え付け」の原理が分かっていれば、「己のどの発言もあなたへの説得でしかない」と種明かしをすることで、少なくともその種の騙し討ちだけは防ぐことができます。

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 この「自分自身が発する言葉」と「自分自身に向けられる言葉」への洞察こそが、今回一番お伝えしたいことです。
 言葉というものは比喩を造り出す影響力として生まれたものであり、各々のパーソナルマトリックスの在り方は比喩の受け取り方次第で千差万別です。
 言葉の一つ一つに正しさや確かさを求めてしまう人は、言葉が「共通の世界」を説明するためのものではなく、人に影響を与えるためのものでしかないことに気付けていません。
 
 そのような人が囚われている「言葉は現実世界を記述するためにある」という固定観念は、「比喩の植え付け」の威力を増すためにでっち上げられた説得のためのフィクションでしかありません。
 正しさという概念も説得のための方便の一つであり、 「こちらが正しい」とか「何が正しいのか分からない」とか「本当の正しさなんてどこにもないじゃないか」などと本気で訴えている人は、その方便が理解できずに「真理教」という隠れた宗教の信者になってしまっています。

 言葉なんてそもそも喩えを造ることしかできないのだから、「何が正しい記述か」なんて白黒ではなく「どんな喩えが相手のパーソナルマトリックスを揺さぶる説得力があるか」という巧拙の次元でしか人は語ることができません。
 そういった「世の中の全ての発言は記述ではなく説得である」という認識こそが、成熟した人間が身に付けている大人のリテラシーではないかと私は考えます。

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 ブログ「間違ってもいいから思いっきり」を立ち上げようと思ったのは、記述というフィクションに騙されてパーソナルマトリックスを暴力的に書き換えられてしまう「真理教」の被害者を世の中から少しずつ減らしていくため。
 そのためにも「今の発言は聴き手にどのように思わせたがっているか」という説得の効果を当たり前に考慮に入れて全ての言動と付き合うという大人のマナーが、もっともっと世に広まってくれたらと願っています。

 
 
※毎週日曜日に更新している当ブログの主なテーマは、この世界を支配する「正しさ」という言葉のプロレスとの付き合い方。
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そのプロレス的世界観を支えている固定観念の源を「記述信仰」と名付け、その実態を以下のような図にまとめて解説しています。
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※そうした知恵を実践している私なりの生き様をサンプルとして提供するために、こちらのブログも毎日更新しています。
mrbachikorn.hatenadiary.jp