この世はもともと、お互いが自由に影響し合う世界です。
殺し合い、奪い合い、騙し合い、妥協し合い、協力し合う。
このように、生存を賭けてそれぞれが好き勝手に影響し合っているのが生物たちの実態です。
そして私たち人間も、各々の都合に応じて己の望むものを獲得しようと生きています。
人間はこうした影響合戦の場に言葉という対人煽動兵器を導入し、正しさという作り話をでっちあげて互いの行動を制限し合っています。
その結果、目に見える殺し合いや奪い合いが抑制された比較的平和な近代国家で育ってきた私たち文明人は、こうした血みどろの影響合戦を生きているという自覚を持ちにくくなっています。
ですが、今日私たちが野生動物から食い殺される脅威に怯えずに済むのは「そこにいたはずの動物たち」を殺したり追い出したりして人間専用の居住地を切り開いてくれた先人がいてくれたからであり、今日私たちが日本国内で治安の保たれた暮らしを享受できているのは過去の数々の戦によって国土が統一されて殺人や略奪を取り締まれるだけの実力を持つ 行政組織ができたから。
私たちはいくつもの戦場で他人に武力をふるわせることで自分たちの安全を保障してきたのであり、私たちがぬくぬくと暮らしているこの平和な日常の世界はそういった数々の戦線の単なる後方に過ぎません。
その意味では、殺戮とも略奪とも騙しとも妥協とも無縁な人間なんて、ただの一人もいません。
私たちはみな「懸命に生きる愚かなヤクザ」でしかないのです。
mrbachikorn.hatenablog.com
ですから、単なる戦線の後方でしか通用していない「正しさ」という作り話を真に受けて「間違えない人」「やましいところのない人」「瑕疵のない人」を目指してしまうと、「その目標をいつか果たせる」という無謀な期待は必ず裏切られることになります。
思うようにいかない「愚かさ」や何かを傷つけてしまう「ヤクザ性」は、この世界で生きている以上避けようのない摩擦ですから、むやみに否定して嫌悪感情に陥らないように気を付けていきましょう。
※当ブログの主なテーマは、この世界を支配する「正しさ」という言葉のプロレスとの付き合い方。
mrbachikorn.hatenablog.com
mrbachikorn.hatenablog.com
そのプロレス的世界観を支えている固定観念の源を「記述信仰」と名付け、その実態を以下のような図にまとめて解説しています。