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間違ってもいいから思いっきり(市井人の日曜研究)

私たち人間は、言葉で物事を考えている限り、あらゆるものを「是か非か」と格付けする乱暴な○×ゲームに絶えず影響されています。ここでは、万人が強制参加させられているこの言語ゲームを分析し、言葉の荒波に溺れてしまわないための知恵を模索していきます。

手足への過剰依存がカラダの性能をがた落ちさせる

 2016年7月2日放送の「SWITCHインタビュー達人達」にて、女優の片桐はいりと武術研究家の甲野善紀が「身体ってどう使う?」というテーマで対談をしました。
 子どもの頃から運動が得意ではなくダンスなどの身体表現には苦手意識を持っていた片桐はいりですが、2010年の舞台でコンテンポラリーダンスに挑戦して以来体の上手な動かし方や体と心の関係に興味を持つようになったとのこと。
 そうやって探求を続けていくと必ず武術の叡知に辿り着くことから、その道の第一人者である甲野善紀に対談を依頼したそうです。

  
 これに対して、甲野善紀も「武術と演劇はすごく近い関係にある」と応じ、実演を交えて解説してみせます。
 まず、甲野善紀片桐はいりに「自分に向かってくる手を上から払い落とすように」と指示し、彼女に向けて何度も両手を伸ばしては払いのけられながら「通常はこのやり取りでは上から払い退ける方が有利」だと解説します。
 ですが、片桐はいりの後方にブラックホールのような穴があると仮定して、そこに吸い込まれていくようなつもりで甲野善紀が両手を伸ばすと、払いのけようとした彼女の方があっさりと真後ろに吹き飛ばされてしまいました。
 
 この技は、穴に吸い込まれてしまうという状況を本気で演じきらないとかからないとのこと。
 「相手を吹き飛ばすためにそんなつもりになってみよう」という程度の表層的な演技ではなく、本当に「わっ、引かれてるっ、このまま吸われてしまうとぶつかってしまって申し訳ない」というような気持ちであればあるほど、結果的に相手が飛んでくれるというのです。
 
 なぜ演じきることが絶大な威力を生むのか。
 彼が別の技の解説で使った理屈を応用するならば、本気で「吸い込まれてしまう」と思って両手が伸びているときには全身の勢いが腕を通じて伝わるので相手を吹き飛ばすことができ、「突飛ばしてやろう」という下心を持って両手を伸ばしているときには「無駄な腕の力み」が全身の勢いの伝達を断絶してしまうため簡単に払われてしまうのでしょう。
 
 甲野善紀は同じ理屈の知恵を、他にも二つ片桐はいりに紹介しています。
 そのうちの一つは「座っている相手を片手で引っ張って起き上がらせる」というもので、もう一つは「紐をたすき掛けに巻くことでアコーディオンを引くときの腕や肩への負担を減らす」というものです。
 どちらの技も、腕を使った行為をする際についつい出てしまう「腕だけに頼ろうとしてしまう癖」が出てしまわないように工夫することで、体全体に負担を分散させることに成功していました。
 
 片桐はいり自身も、こうした身体操作の工夫に興味を持つようになってから体を動かすことが楽しくなっていき、五十才を越えた今の方が昔よりもすいすいと歩いたり階段を上ったりできるということです。
 私自身も二十代後半からこうした身体操作の知恵に興味を持ち、和太鼓や民舞などを通じて十年以上探求を続けてきたので、この片桐はいりの実感には深く共感できます。
 
 この番組を一緒に見ていた妻は、甲野善紀片桐はいりの話す内容が、普段の練習で私が語っている内容と重なると感じたようです。
 妻は私が説明するたびに「理屈は分かるけどどうしても力が入ってしまうから私には難しい」と半ば諦めていたようですが、片桐はいりというお気に入りの女優が「年を重ねてからも体が楽に動くようになった」と言うのを聞いて、体の使い方に関してより前向きな興味を抱いたようです。
 
 そして昨日、妻が嬉しい報告をしてきました。
 二人で階段を昇るとき、私は常々後ろから腰を押してサポートをしているのですが、自分一人で階段を昇るときにもいつものように私から腰を押されているようなつもりになって演じてみたら楽チンだったというのです。
 
 これはおそらく「脚を交互に持ち上げて運ぶことによって進もうとする」という悪癖が、背中を押される感覚を思い出すことで軽減されたため。
 「胴体の重心が前方に倒れこむのに脚がついていっているだけ」という風にして脚を使い過ぎないようにすれば、体は勝手に進んでいくのです。
 
 人はどうしても、腕でやっているように見える動作では腕だけを使い、脚でやっているように見える動作では脚だけを使おうとしてしまう傾向があります。
 こうした手足への過剰依存は、甲野善紀が言う「見当外れの努力」に当たるもの。
 手足のみに頼った「無駄な頑張り」の弊害を減らしていくためにも、効率のよい演じ方を一つ一つ発見していきたいものですね。
できない理由は、その頑張りと努力にあった

できない理由は、その頑張りと努力にあった