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間違ってもいいから思いっきり(市井人の日曜研究)

私たち人間は、言葉で物事を考えている限り、あらゆるものを「是か非か」と格付けする乱暴な○×ゲームに絶えず影響されています。ここでは、万人が強制参加させられているこの言語ゲームを分析し、言葉の荒波に溺れてしまわないための知恵を模索していきます。

気持ちを解放させる動作

 田楽座から教わった「確かな重心操作を常に活用して打つ和太鼓」を実践していると、よくいただく感想が「全身が躍動している」「本当に楽しそうに演奏している」「何かに取り憑かれたみたい」といったもの。
 これは、田楽座の教えが十分に反映された結果だと感じています。

 田楽座はよく「決まった振りの通りに体の動きを揃えるのではなく、内から自然に湧き上がってきた衝動が結果的に動きになるようにする」という言い方をします。
 確かに私も湧き上がってくる衝動に任せて飛び跳ねたりしてるだけで、別に「こんな振りをしなければ」と頭で考えて動いているわけではありません。
 和太鼓の仲間たちの中にも「心の底から楽しい!」という衝動が、その細い体に収まりきれずに溢れ出たかのような活き活きとした動きをする人が何人もいます。
 
 じゃあ、どうすればそんな楽しさを体で表現できるのか。
 「気持ちを動きにすると言われても難しすぎて意味が分からない」という人もいると思います。
 
 でも私の答えは簡単です。
 人間の心と体は別々のものではなく全て繋がっていますから、動作の中でも感情を開放させやすいものを選択すれば良いのです。
 具体的に言うと、「重力に身を任せて重心を落下させる」「太鼓の皮の跳ね返りに任せて重心をバウンドさせる」「体の各部を、慣性に任せて放り投げる」などの動きのことです。
 
 私達は普通に立っているだけでも重力に逆らって身を起こさなければならないので、日常的に全身の筋肉を少なからず緊張させています。
 ですから、立っているときより座っているとき、座っているときより寝ているときの方が、体の緊張が少ないぶん心もリラックスしています。
 
 先ほど挙げた体を落下させたり放り投げたりといった動作には、体が直立しているにもかかわらず立つために必要な力みを放棄する必要があるので、最初はなかなか思い切れない人が多いです。
 いつも頼ってる命綱を切ってしまうような気がして、恐怖心が先立つのでしょう。
 
 しかし、トランポリンで飛び跳ねて遊んでいるときのことを思い出してみてください。
 ジェットコースターが好きな人は、高いところから一気に滑り落ちる場面やぐるぐる回転している場面を思い出せばいいかもしれません。
 これらの例を思い出してみれば分かるように、重力に身をゆだねて身を放り投げたり落下させたりする行為には、日常ではなかなか味わえない開放感があるのです。
 それこそバンジージャンプなどが良い例でしょう。
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 感情の開放にまず必要なのは、全身のリラックス。
 ですが、一般に流布している和太鼓の演奏法は、緊張した直立状態での身体動作の延長でしかありません。
 下半身の位置を固定し、胴体の向きを真正面に固定し、顔の向きも正面に固定し、バチの動きをいちいち止めたりして、全身の筋肉を常に緊張させて体にブレーキをかけてしまいます。
 
 ですから田楽座の座員がやっているように気持ちを開放させながら演奏するには、下半身の位置を固定させずバネのように柔らかく使い、胴体と顔の向きも固定させず上方にも動くよう柔軟に開放させ、バチもなるべく止めずに素直に跳ね返してやる必要があります。
 そういったブレーキをかけない基本的な体の使い方の中で、「重力に身を任せて重心を落下させる」「太鼓の皮の跳ね返りに任せて重心をバウンドさせる」「体の各部を、慣性に任せて放り投げる」などの動作を体に染み込ませてあげれば、そのうちにドンドンと体の奥から気持ち良くなっていきます。
 
 また、そのように解放された演技を観ているだけでも、そんな解放感を追体験することができます。
 感情を思いっきり開放させてすっきりしたい方、田楽座の太鼓や踊りに触れてみるのは如何ですか。
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