間違ってもいいから思いっきり(市井人の日曜研究)

私たち人間は、言葉で物事を考えている限り、あらゆるものを「是か非か」と格付けする乱暴な○×ゲームに絶えず影響されています。ここでは、万人が強制参加させられているこの言語ゲームを分析し、言葉の荒波に溺れてしまわないための知恵を模索していきます。

妥協は大人の知恵である

高校生の時に経験した遠足のバスの車内での出来事を思い出す。
バスが発車すると、ほどなく後ろの方の席に座った生徒の幾人かが、こっそりタバコを吸い始めた。
 
担任のU先生は、決して後ろを見ない。
生徒の喫煙を摘発して、始まったばかりの遠足の中止を含めた問題の引き金を引くことは好まないし、かといって、生徒の喫煙をあからさまに黙認することも、教師の信念が許さなかったからだ。
で、彼は喫煙を発見しないために、ただただ前方を見続けることにしたのである。
 
さてしかし、U先生は、バックミラーを見たのか、あるいはバスガイドから耳打ちされたのか、喫煙の証拠を残したくない生徒が、タバコを窓から捨てている事実を感知するに至る。
これは非常によろしくない。
ぜひ、吸い終わったタバコは備え付けの灰皿に捨てるように指導したい。
だが、この指導は、同時に喫煙の容認を意味してもいる。
ゆえに、採用できない。
 
やがて、U先生は、ガイドさんからマイクを借りると、前方を見据えたままの姿勢で「窓からガムやチョコレートの紙を捨てるような非常識な行為を、私は絶対に許さない。小さなゴミは、座席の前にある灰皿に捨てるように」という意味のことを静かに、噛んで含めるように言った。
そして、最後に「みんなで、事故のない楽しい遠足にしようじゃないか」という言葉で演説を締めくくった。
 
U先生があの時にわれわれに語りかけてくれた短いスピーチが、教師として正しい対応だったのかどうかはわからない。
正論を通せない、弱腰な、情けない先生、と今でも思っている人もいるかもしれない。
個人的には、はるか前方を見据えた、素敵な対応だったと思っている。
 
ああやって先生がごまかしてくれたバスが行き着いた先の未来で、私たちは、けっこう平和に暮らしている。
 
 これは、2016年11月18日に日経ビジネスオンラインで掲載された、エッセイスト小田嶋隆の「ダブルバインド、それもひとつの選択肢」という記事の締めくくりに書かれた逸話。
 この中の「正論を通せない、弱腰な、情けない先生」というのは、憲法九条の存在にも関わらず自衛隊という強大な武力を保有し、「自衛隊は軍隊ではない」と言い続ける日本のことを表現しています。