読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

間違ってもいいから思いっきり(市井人の日曜研究)

私たち人間は、言葉で物事を考えている限り、あらゆるものを「是か非か」と格付けする乱暴な○×ゲームに絶えず影響されています。ここでは、万人が強制参加させられているこの言語ゲームを分析し、言葉の荒波に溺れてしまわないための知恵を模索していきます。

サルが信じるメディアリテラシー

 日経ビジネスオンラインで連載されている「ア・ピース・オブ・警句」という小田嶋隆のエッセイをチェックするのは、毎週金曜日の私のルーティンです。
 面白いと感じる記事もあればそれほどでもない記事もあり彼の立場への私の態度は是々非々なのですが、2017年12月2日分の「インチキメディアの時代到来」という記事は、個人的にまったく賛成できず極めて有害だと感じました。
 その一部を抜粋して紹介してみましょう。
http://business.nikkeibp.co.jp/atcl/opinion/15/174784/120100072/
 
インターネットの登場以来、情報が双方向化して、これまで情報の受け手であった人々が、情報を発信する手段を獲得し、それまでの一方的なメディア状況に変化が生じると、「メディア・リテラシー」という言葉が、しきりに繰り返されるようになった。
その意味するところは、「IT化した世界の住人は、これまでのように、一方的に情報を享受するだけでなく、時には自分の側から情報を発信しつつ、様々なメディアの特徴とその配信内容を批判的に検証しながら、主体的にメディアを選択しなければならない」といった感じだろうか。
まあ、そんなところだろう。

いずれにせよ、「鵜呑み」が、最悪な態度で、メディアに対して批判的な態度を堅持することが、メディア・リテラシーの基本だってな話が、21世紀のメディアや情報に関して説教を垂れる人間の定番だったわけだ。
大筋はその通りなのだろう。
 
ただ、最近になって、私は、われわれ一般の人間が、既存のマスメディアに対して批判的な目を向けはじめたことが、果たして21世紀のメディア環境を改善せしめているのかについて、確信を持てなくなってきている。
というのも、マスメディア発の「画一的」で「独善的」で「一方的」な情報に疑いの目を持つまでのところは良かったのだとして、その結果、人々が、ミドルメディアだったりマイクロメディアだったりする有象無象の情報源からの情報を重視することになっている現状が、必ずしもマトモな結果をもたらしていない気がするからだ。
 
もう少し具体的な言い方をすると、マスメディアの情報を鵜呑みにしていた20世紀の日本人の方が、それを疑っている21世紀の日本人より、結果的には賢明だったのではないかと思い始めているということだ。
というのも、マスメディア発の情報を「鵜呑み」にせず、疑い、検証し、さらに様々な個人や小さな組織や有識者や言論人やネット論客から発信される非常に幅広い情報を総合的に評価して、「自分のアタマ」で判断して情報を取り入れている21世紀のわれわれは、結局のところ、「正確な情報」ではなくて、「自分の信じたい情報」だけを集めるサルみたいなヤツになってしまっているからだ。
 
 私が引っかかるのは、メディアリテラシーとは「自分の信じたい情報」だけを集めるサルみたいなヤツであることを卒業してまともな判断力を備えた『人間様』になることなのか、ということです。
 これに対する私の見解は、人間とは結局のところ「自分の信じたい情報」だけを集めるサルみたいなヤツでしかないというもの。
 そして、そうではないと反発したがる人こそが、「ヒトはまともな判断力を備えた『人間様』になれるはずだ」という近代社会の大本営発表を信じたがっているサルだということです。