間違ってもいいから思いっきり

私たち人間は、言葉で物事を考えている限り、あらゆるものを「是か非か」と格付けする乱暴な○×ゲームに絶えず影響されています。ここでは、万人が強制参加させられているこの言語ゲームを分析し、言葉の荒波に溺れてしまわないための知恵を模索していきます。

お行儀との距離感


 私たち人類は、言葉や概念を獲得することでその行動様式を大幅に変化させていき、地球上における今日のような繁栄を実現しました。
 しかし、言葉や概念によるヒトへの矯正はパワフルかつストレスフルなもの。
 貨幣やモラルや学問といった社会的習慣の発明は、言葉の影響力を増大させて文明社会の発展に貢献しましたが、それらの強迫的な圧力は動物としての身体の可能性を殺す方向にも働いています。

 私が和太鼓の指導などを通じて日々感じているのは、大人の都合による「行儀よくあれ」「じっとしていろ」「やたらと動き回るな」といった数々の刷り込みがヒト本来の運動性能を阻害しているということ。
 むやみに暴れまわらない行儀のよさを前提として成り立っている近代社会において、一人前の成員として認められるためにはその社会の文化的奇習を身に付ける必要があります。
 ですが、長年に渡って「動くな」という禁止令に従い続けていると、体を動かすべき場面にまで「体を固定する」という余計な刷り込みが邪魔してしまい、運動能力の劣化という望ましくない副作用を招くハメになります。

 こうした問題意識を元に、和太鼓指導の場面において私がこだわっている視点は次の二つです。
 まず一つ目は、近代的な文明社会の抑えつけによるストレスを発散するための機会として、全力で暴れ回ることが許される和太鼓演奏の場を活用すること。 
 そして二つ目は、「体をむやみに固定しない方が動物本来の柔らかくてキレのある動作を引き出せる」という武術やスポーツの世界での常識を、お行儀よく姿勢を固めてしまいがちな和太鼓の世界にも浸透させていくこと。

 「大人しくしていろ」という社会圧によって被ったストレスの発散を目指す一つ目の目的意識から、私は「バチコーン道場」という初心者向けの気楽な体験会を毎年福岡で主催しています。
 そこでのモットーは「間違ってもいいから思いっきり」という、私の和太鼓の師匠である歌舞劇団「田楽座」の方々からいただいたアドバイスを受け継いだものです。

 この格言を特に強調するのは、大多数の日本人が家庭や学校や職場において周囲からの逸脱を怖がるように刷り込みを受けてきており、習い事などの場でもついついその習性が出てきてしまうから。
 そういった社会における普段のストレスを発散する機会として主催した場所にまで、ちまちまと神経質な強迫観念を持ち込んで欲しくはないのです。

 また、運動時の「姿勢を固定してしまう癖」を断ち切るという二つ目の目的意識から、和太鼓や民舞における合理的でキレのある自然な身体操作を追求し続けています。
 野生動物のようななめらかでシャープな動作のポイントは、全身を筋肉の力みだけでコントロールしてしまわずに慣性や重力など自然の物理法則に身を委ねてしまうこと。 
 特に和太鼓の場面では、田楽座から教わった打法にオリジナルのアレンジを取り入れることで、「バチコーン打法」という野生と慣性と重力の活用にこだわった打法を考案しています。

 下半身の位置を固定させず、バネのように柔らかく使う。
 体や顔の向きも固定させず、自在に動くように開放させる。
 バチの挙動も逐一制御してしまわず、バチの行きたいところへ行かせてあげる。
 そういったブレーキをかけない体の使い方の中で、「重力に身を任せて重心を落下させる」「太鼓の皮の跳ね返りに任せて重心をバウンドさせる」「体の各部を慣性に任せて放り投げる」などのノウハウを体に染み込ませてあげれば、重くて深くて柔らかくて勢いのある一打一打が仕上がっていきます。

 こうしたアグレッシブな打法の狙いは野生の解放による迫力や爽快さの追求であり、「行儀よくあれ」という社会圧から解放される場としての和太鼓の活用。
 しかし現代の日本では、同じ和太鼓をやるにしても「行儀よくあれ」という日本的な刷り込みの枠内でしか取り組まれていないことの方が多いようです。
 20世紀後半から普及し始めた舞台演奏としての和太鼓の世界では「分かりやすく整えられた様式美」が目標とされてしまうことが多く、そういった環境ではマスゲームにおける一斉行進のように画一化された身体操作が蔓延しやすくなっています。

 そうした諸々の刷り込みによって抑えつけられてきた可能性を引き出していきたいというのが、バチコーン打法を考案し、バチコーン道場を運営してきた目的です。
 お行儀よく振る舞うことが必要になる場面も社会生活には多々ありますが、周囲にお伺いを立てることなくのびのびと自分を解放できる場所も確保していきたいものですね。


※当ブログの主なテーマは、この世界を支配する「正しさ」という言葉のプロレスとの付き合い方。

http://mrbachikorn.hatenablog.com/entry/2014/03/12/175400
※そのプロレス的世界観を支えている「記述信仰」の実態を、簡単な図にしてまとめています。

http://mrbachikorn.hatenablog.com/entry/2014/07/06/051300