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間違ってもいいから思いっきり(市井人の日曜研究)

私たち人間は、言葉で物事を考えている限り、あらゆるものを「是か非か」と格付けする乱暴な○×ゲームに絶えず影響されています。ここでは、万人が強制参加させられているこの言語ゲームを分析し、言葉の荒波に溺れてしまわないための知恵を模索していきます。

友達はいらない

 私たち人間は、言葉で物事を考えている限り、あらゆるものを「是か非か」と格付けする乱暴な○×ゲームに絶えず影響されています。
 この野蛮な影響力は、様々な人間関係から立体的に編み出されていく集団心理の賜物。
 この集団心理の怖さを物語るような場面が、2014年4月2日放送の「ホンマでっか!?TV」の中にありました。

 春は入社、就学など新しい人間関係を無理矢理作らなくてはならない時期。
 そのためストレスも増大し、うつ病が増え、自殺率も高くなるそうです。
 そこでクローズアップされたのが、小中学生の間で増加しているという小児うつの問題。

 心理評論家の植木先生によれば、うつ症状に陥りがちな子どもの特徴は「友達をたくさん作らなきゃいけない」という強迫観念を抱いてしまっていること。
 こうした強迫観念は子どもにとって非常につらいものだと訴えていました。

 この強迫観念は、親や教師やメディアなど周囲の環境によって植え付けられるもの。
 世間には友達をたくさん作らなければ優秀じゃないという風潮が蔓延していますし、学校でも「友達ができるかできないとか」という基準で子どもの協調性が査定されている現状があり、この風潮を助長しているそうです。
 
 植木先生は「友達は多い方が良い」とする同調圧力についてただ論じただけではなく、その圧力を緩和すべく番組の中で彼女なりの波紋を起こそうとしていました。
 まず彼女は、「学校生活で大切な友や夢中になる物が一つ見つかれば青春は成功している」という考え方を紹介することで、子どもたちを悩ます世間の風潮に対してソフトな反論を試みます。

 この植木先生の語りに深く共感していたのが、隣に座っていた脳科学評論家の澤口先生です。
 彼は植木先生に「友達なんかいらないですよね」と同意を求め、思い詰めた様子の彼を面白おかしくあげつらう芸人たちに対して「友達なんかいらないわ」と言い放ちます。

 司会者は驚いた様子で『何をおっしゃってる、友達いらっしゃるでしょ』と詰め寄りますが、澤口先生は「いません」と断言。
 それに対するひな壇芸人からの『いなさそうやなあ』というリアクションによって、会場には笑いが起こり、番組的にも盛り上がりを見せました。

 この澤口先生の痛切な告白を単なる笑いのネタとして消費している世間の風潮こそが、子どもたちをうつにさせている強迫観念の源です。
 小児うつに悩まされる子どもたちを代弁者するような澤口先生の言い分を、単なる芸人たちのおもちゃで終わらせないために、植木先生はすぐさま熱弁を始めます。

 彼女は「でも大事です、友達はいらないんです」ときっぱり断言して周囲を驚かせました。
 このとっさの切り返しは、極論と笑いしか求めていないテレビショーのニーズにぴったりだったようで、ひな壇や観客はどっと盛り上がりました。

 反射的に起こった『えー、要るよ、友達は』というヒステリックな叫びに対しては、「友達はいらないという教育、という考え方もあっていいと思うんですよ」とソフトな論調に改め、極論一辺倒と受け止められるのを一旦回避します。

 そして「あのお、専門家ていうのはみんな友達いません」とさらなる極論を重ね、テレビ的な盛り上がりを演出しながらも持論を続けます。
 以下、括弧内が植木先生の発言で、二重括弧内がそれを受けての周囲の反応です。

「(専門家は)自分のやろうとすることに夢中になっていますから、他の人との付き合いにそんなに振り回されない人が多いんです」

『(専門家たちを指して)この辺友達少ない人多いんだ』

「誰もいません」

『だからこんな風に育ったんだ』
『えー、やだー』
『かわいそう、友達いないんだ』

 こうして番組の流れを作り注目を集めた上で、改めて「嫌なら無理に付き合わないという選択肢があってもいいんです。友達いないと人間じゃないみたいに言われて学校に行くと辛いんですよ、すごい」と、悩める子どもたちの気持ちを代弁していました。 
 「面白ければ何でもいい」というテレビ局側の下世話なニーズもちゃんと満たしながら、それでもただの迎合に終わらずに言うべきことをしっかりと発信していく植木先生の手腕は流石だったと思います。

 「友達はいなくてもいい」と、戦略的な極論を強調する彼女に対し、「個々では生きていけないと教えないとね」という冷静な突っ込みも飛びますが、そこは植木先生もちゃんと心得ており「もちろんそうです」と即答していました。
 彼女はただ、生きていくために必要な協調と、周囲のイエスマンになっていく迎合とをきっちり区別していただけなのです。

 彼女は「友達は必要だ」という世間の風潮には迎合しませんでしたが、だからといって世間の在り方をただ拒絶していたわけではありません。
 今回彼女が「友達はいらない」というメッセージを全国に届けることができたのは、これまで彼女自身がバラエティー番組の中で「笑いを提供する」という世間のニーズと上手く協調してきたからこそです。

 その甲斐あって、インターネット上でも「植木先生の言い分を聴いてほっとした、救われた」といった反響が起きています。
 この番組を見たことで、「ランチ仲間やトイレ仲間を確保するために無理して迎合する必要はない」と、励まされた人も随分いたのではないでしょうか。

 集団心理が怖いのは、それを造り出している人々自身に当事者としての責任感が全くないということ。
 「友達は必要だ」「友達は大事だ」と主張している一人一人に決して悪意はないのでしょうが、そのことがかえって逆らいがたい柔らかな同調圧力を生み出します。

 二重括弧で抜粋した芸能人たちの反応は、ただの感想や事実を素直に述べただけというつもりでしょう。
 ですが悩める者からすればそれらの言葉は人格否定のニュアンスを過分に含んでおり、発言者たちの意図とは無関係にうつや自殺を増加させる遠因となっているのです。

 「友達は必要だ」という固定観念はなかなか強大なものですから、植木先生一人がテレビで発信したからといってそう易々となくなるものではないでしょう。
 大事なのは、そうした同調圧力の中でも「友達がどうの」なんて○×ゲームに振り回されずに、「別に問題はない」と思えること。
 そういう意味で、植木先生の今回の発言は全国の悩める人々を確かに勇気づけたはずです。


※当ブログの主なテーマは、この世界を支配する「正しさ」という言葉のプロレスとの付き合い方。

http://mrbachikorn.hatenablog.com/entry/2014/03/12/175400
※そのプロレス的世界観を支えている「記述信仰」の実態を、簡単な図にしてまとめています。

http://mrbachikorn.hatenablog.com/entry/2014/07/06/051300