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間違ってもいいから思いっきり(市井人の日曜研究)

私たち人間は、言葉で物事を考えている限り、あらゆるものを「是か非か」と格付けする乱暴な○×ゲームに絶えず影響されています。ここでは、万人が強制参加させられているこの言語ゲームを分析し、言葉の荒波に溺れてしまわないための知恵を模索していきます。

繊細チンピラの犯す傷つきますハラスメント

 2013年に「繊細チンピラ」という言葉が話題になりました。
 この言葉を取り上げて広めたのはライターの小野ほりでい
 女子二人の会話という形式で面白おかしくウェブサイトで紹介したことをきっかけに、一部の人々の間でスラングとして普及していったのです。
 
 繊細チンピラとはSNSに登場する一種のクレーマー
 小野ほりでいが例として挙げたのは、テーブルの向かいに異性の姿が入っている料理の写真をアップした女性に対して「あなたの男がいるアピールがめんどくさい」と難癖を付けにくる人。
 また、会社にいくのに化粧をし忘れていたことを呟いた女性に対して「スッピンでもかわいいこととちょっとドジな自分をアピールしている」とやっかむ人などです。
 さらに極端な例としては、ネイルの写真をアップした女性に対して「爪がある自慢はうざい」などと難癖をつけてくる人などが挙げられます。
 
 例には挙がっていませんが、子育て中のタレントがブログにアップする「素敵な日常の風景」に対して、「まだまだ目の離せない赤ちゃんの時期なのに仕事入れ過ぎ、遊び過ぎ、外食し過ぎ」「子どもが欲しくてもできない人の気持ちを少しは考えろ」などと嫉妬まじりのコメントを付けて炎上させる人たちも似たようなものでしょう。
 このような人たちに対する評価を描いた部分を引用してみましょう。
togech.jp
 
この人たちはSNS名物、「自分に欠けている何かを持っていることに無自覚な他人の発言を勝手に自慢と受け取って激昂する人」よ。
何かを持っている人がそれを「あって当たり前」と思って何の気なしにそのことに言及しても、それを持っていない人からしたら自慢や嫌味に見えることがあるのよ。
 
もし誰かが自分に欠けた何かを持っていることが少しも苦しくなかったら誰もそれを得ようと努力しないわ。
苦しみたくなければその何かを得るか、自分の価値観を変える必要があるのよ。
 
でも、その苦しみの解決を自分でなく他人に任せようとすると、「幸せな人は幸せそうにしているだけで不幸な私を傷つけるので一生黙っててください」というようなクレームをしらみ潰しに繰り返すしかなくなるのよ。
 
 小野ほりでいの目的はおそらく、インターネット上で氾濫するこのような不毛なやりとりをばっさりと切り捨てること。
 そのための戦略の一環として、この種の難癖をつけてくる相手を以下のように大々的に名付けます。
 
気付いたかしら?
最近のネット上の「弱い者、持たざる者は強い者、持てる者をいくら攻撃してもよい」という不文律に・・・・。
 
行動が常に監視されている環境下では弱者が最強になるのよ。 誰かにとって有益な行動でも、「傷つくのでやめてください」の一言で止めさせられる。
被害者の立場で居続けるためにみんな弱い部分を曝け出す・・・
 
「傷つくのでやめてください」
の一言で自分の不快なものをこの世からなくそうなんて、暴力と同じなのよ。
だからこういうふうに弱者の立場を利用して意見を通す人に、畏敬の念を込めて”繊細チンピラ”と呼ぶのよ。

繊細な人というのはおおよそ、傷つくポイントが多い人というふうに考えることができるわね。
傷つくポイントが多い、ということを人のために利用すれば、同じくらい繊細な他人が傷つかないように特別に思いやることができるわ。
これは繊細さの良い側面よ。
 
でも逆に、繊細な自分を傷つけないように他人に要求する輩もいるわ。
繊細な人が繊細でない人たちに自分を傷つけないように求めても、何に傷つくかわからない人を気遣う側は大変なのよ。
 
 つまり、繊細チンピラという言葉は、己の傷つきやすさを他人に対する武器に転用して不毛な「傷つきますハラスメント」を仕掛けてくる輩を追い払うために、カウンターとして貼り付けるレッテルなわけです。
 この繊細チンピラたちの心理について、小野ほりでいは以下のような考察を加えています。
 
繊細チンピラはどうして人に絡むと思う?
たとえば・・・
 
ハイキングを楽しんでるだけの人に、「何の当てつけだ」とカラんでる人がいるとするわね。
この人は本当はハイキングをしたいけど、仕事があって行けないのかもしれない。
 
でも、本当に行きたいのなら仕事なんてやめてハイキングに行けばいいわ。
それでも仕事をするのなら自分がそれを選んだということよ。
自分の選択の責任を他の人に負わせることはできないわ。
 
仕事を早く終わらせていればハイキングに行けたかもしれない。
あるいは、今すぐ仕事を放り出せばハイキングに行ける・・・
 
それでもそういう選択肢を取れない自分の怠惰や、勇気のなさに対する怒りを他人にぶつけてしまうのが繊細チンピラなの。
 
怒っている人というのは基本的に、自分の状況を整理できていない人だと憶えておくといいわ。
悲しすぎて受け止められない事実、自分の行動の自己矛盾、考えなければならない分からないややこしい事態に思考回路がショートすると人は怒るの。
 
 こうして小野ほりでいは、繊細チンピラたちがこうした「傷つきますハラスメント」を犯してしまうのは、自分自身の状況を冷静に把握できていないからだと断じます。
 まだまだインターネット内の一部でしか知られていない「繊細チンピラ」ですが、この用語がもっと認知されることによって繊細チンピラたちのキズハラ行為が減っていくことを、私も願っています。
 
 
※当ブログの主なテーマは、この世界を支配する「正しさ」という言葉のプロレスとの付き合い方。
mrbachikorn.hatenablog.com 
「正しさ」というゲームの最大の欠陥は、何を「正しい」とし何を「間違ってる」とするのかというルールや、その管理者たるレフェリーが、実際にはどこにも存在しないということ。
人類はこれまで数え切れないほどの論争を繰り広げてきましたが、それらのほとんどは「レフェリーの代弁者」という場を仕切る権限をめぐっての権力闘争でした。
 
「レフェリーの代弁者」という立場は、自分の個人的な要求でしかない主張を、まるでこの世の既成事実のように見せかけるための隠れ蓑です。
「それは正しい」とか「それは間違ってる」という言い方で裁きたがる人たちは、私はこの世のレフェリーの代弁をしているだけなんだという迫真の演技で己の発言の圧力を高めていたのです。
 
演技の迫力とは、演技者が役にどれだけ入り込めるかで決まるもの。
人々はいつしかレフェリーの代弁者のふりが説得のための演技であったことを忘れ、「どこかに本当の正しさがあるはず」といった物語を本気で信じこんでしまいます。
こうして人類の間には、「正しさ」という架空のレフェリーの存在をガチだと捉えてしまう、大がかりなプロレス社会が成立していきました。

そのプロレス的世界観を支えている固定観念の源を「記述信仰」と名付けました。
以下の記事では、この「記述信仰」の実態を上のような簡単な図まとめて解説していますので、ぜひご一読ください。
mrbachikorn.hatenablog.com