普段は高校の非常勤講師として、数学を教えている私。
学校での授業はチャイムとともに始まりますが、チャイムが鳴るより前に教室に行くと生徒同士の雑談を耳にすることもあります。
そんな雑談の中で男子同士が「今回ばかりは積んだな」「次見とけよ」などと軽口を叩き合っていることがあったので何のことかと訊ねてみたら、国語の授業で予定されているディベートの話題でした。
そのときの議題は「外国人参政権を認めるべきかどうか」で、A君は「認めるべき」という立場に立ち、他の多くの生徒たちは「認めるべきでない」という立場だったみたいです。
クラスの中でもA君は特に弁が立つ方らしく、このディベートの授業ではA君の入ったチームが連勝中。
今回の議題では「外国人参政権は認めるべきでない」の立場の方が圧倒的に有利だと踏んでいたA君は、最初から有利な立場で勝ったところで今さら面白味がないと判断し、敢えて不利な立場を選んでみたということでした。
その結果、次の国語の時間では「認めるべきでない」とする友人たちに論破されてしまい、A君の連勝記録は途切れてしまったそうです。
挑戦だと思って「外国人参政権を認めるべき」の方に参加してみたけどやはり不利過ぎて勝ち目がなかったと語るA君に、私は「その立場ならば話のスケールを大きくし過ぎるという作戦が有効だったかもしれない」とこたえました。
「話のスケールを大きくし過ぎる」というのは、当たり前だとされている既存の枠組みを疑ってみるということ。
この議題では「国民国家」という既存の枠組みに疑問を呈することが、一つの攻め手となったかもしれません。
例えば私は日本国籍を有しており、本籍地は福岡県ですが、住民票は兵庫県にあります。
この場合、私は日本の国政選挙への投票権と兵庫の地方選挙への投票権を有することになります。
本籍地が福岡であるにも関わらず私が兵庫の地方選挙に投票することができるのは、福岡も兵庫も日本国というくくりの中では「同じ仲間」だとみなされているから。
東京に引っ越そうが北海道に引っ越そうが沖縄に引っ越そうが日本というエリア内で住民票を移しさえすれば、日本国籍を有している私はどの都道府県に住んでも投票権を獲得することができるのです。
ですが、日本以外の国に移住したときは話が変わります。
国籍が日本のままで国政選挙への投票権が得られる可能性があるのは、ニュージーランド、チリなどほんのわずかな国のみ。
地方選挙への投票権が得られる可能性があるのもデンマーク、ノルウェー、フィンランド、スウェーデン、オランダ、ヴェネズエラ、韓国など、これまた少数に限られます。
さらにいずれの場合も、年収や一定以上の定住期間などなんらかの条件をクリアする必要があります。
これは、日本・アメリカ・中国・イギリス・フランス・ドイツなど…「国民国家」という枠組みによって「よそ者か仲間か」を区別するという制度の中を私たちが生きているから。
ですがこの「国民国家」という枠組み自体は、カトリックとプロテスタントの宗教戦争を収めた1648年のウェストファリア条約から普及し始めた作り物の制度であり、現時点の世界で通用しているからといって別に人類にとっての普遍的な制度ではありません。
今は「同じ仲間」だとみなされている福岡と兵庫にしても「よそ者同士」だった時代があるのですから、「国民国家」という現在の枠組み自体も筑前国や摂津国のように過去のものとなる時代が来るかもしれないのです。
SF作品で言うならば、機動戦士ガンダムには地球連邦という枠組みがありますし、スタートレックに至っては惑星連邦という枠組みすらあります。
ですから、A君が「外国人参政権を認めるべきでない」という意見に反論するのであれば、「人類は皆仲間であるべき」というベタな進歩主義思想を強弁するという手もあったわけです。
世の現状はひとまず棚上げにしておいて、「都道府県間の引っ越しと同じように、住んでいる場所の政治に参加できるよう制度を整えるのは当たり前」「国籍なんて幻想にいつまでも縛られているのは非合理的だ」などと理想論をふりかざせば、相手チームも多少は面倒臭かったかもしれません。
こうしたディベートの機会などを活かして、私たち人間の社会がいくつもの幻想によって成り立っていることや、ある制度がたとえ幻想であったとしてもそれを支持している人がいる限りはたやすく無視することができないことなどを、生徒たちが少しずつでも学んでいってくれればと思います。
http://mrbachikorn.hatenablog.com/entry/2014/08/31/000737
人間社会をとりまく言葉の荒波に、将来彼らが潰されてしまわないためにも。
※当ブログの主なテーマは、この世界を支配する「正しさ」という言葉のプロレスとの付き合い方。
http://mrbachikorn.hatenablog.com/entry/2014/03/12/175400
※そのプロレス的世界観を支えている「記述信仰」の実態を、簡単な図にしてまとめています。