間違ってもいいから思いっきり

私たち人間は、言葉で物事を考えている限り、あらゆるものを「是か非か」と格付けする乱暴な○×ゲームに絶えず影響されています。ここでは、万人が強制参加させられているこの言語ゲームを分析し、言葉の荒波に溺れてしまわないための知恵を模索していきます。

怒りや嘆きに振り回されないマインド

 怒りや嘆きといった感情に振り回されてしまうのは辛いもの。
 たとえそれが他者に向けたものであったとしても、怒ってしまった時点、嘆いてしまった時点で、その感情の炎は持ち主である自分にもチクチクとダメージを与えます。
 
 できることなら、私はこうした感情による自爆的な被害を極力避けたいと願っています。
 そのために私は「そもそもこのように認識しておけば怒りや嘆きの被害を軽減できる」という、私なりのマインドセットを捻り出しました。
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 それは「私たちはみな懸命に生きる愚か者でしかない」というもの。
 今回は、このマインドセットのもたらす効能についてプレゼンしてみたいと思います。
 
 まず、怒りや嘆きの発生源は「こうであるはずだ」「こうであるべきだ」という自分自身の勝手な期待です。
 叶うかどうかも定かでない身勝手な期待を大事に抱えてしまっているから、その淡い期待が裏切られてしまったときに怒りや嘆きを覚えてしまうわけです。
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 自身の勝手な期待が裏切られてしまったとき、幼稚な人は「期待を裏切った相手」を修正したがります。
 ですがその相手はその人なりに合理的な選択をしているだけであり、誰かの勝手な期待を満たすために生きているわけではありません。
 怒りや嘆きの炎で自分を焼くのが嫌ならば、修正すべきは「相手の行動」ではなく「自分勝手な期待」の方でしょう。
 
 そうした「自分勝手な期待」に必要以上に振り回されてしまわないために便利なマインドセットこそが「私たちはみな懸命に生きる愚か者でしかない」というもの。

 「自分勝手な期待」とは自分でも気付かないうちにいつの間にか身に付けてしまっている固定観念ですから、いくら持たないようにしようと気を付けたところで「勝手な期待を裏切られてイラッとする瞬間」の到来は避けることができません。
 そんなときに「私たちはみな懸命に生きる愚か者でしかない」という方便を常備しておけば、相手を「悪」や「間違ったもの」とみなして断罪するという深みにハマることなく、「愚かさ」や「不器用さ」や「下手さ」に同情するというより軽い症状に留めておくことができます。
 
 同情できるポイントは「相手は相手なりの基準で懸命に生きているはずだ」ということ。
 たとえ相手が自分に向けて直接的な敵意や害意をぶつけてきたときでさえ「そうでもしないと感情のやり場がないくらい未熟なんだから仕方ないな」と諦めがつき、断罪という深みにハマらずに済みます。
 さらに、こちら側のイライラの原因が「懸命さが見えない」「やる気が見えない」「不真面目に見える」というときでさえも、「当の本人には『一生懸命やらない』や『やる気を見せない』や『不真面目でいる』を一生懸命やっていなければ自分を保てないような事情があるんだろうな」という風に理解することができます。
 
 そして、それでも怒りや嘆きの炎が収まらない場合に恐いのは、同じ事態を許せている人を目の当たりにした場合に「怒りや嘆きに留まっている自分は駄目なんじゃないか」とさらなる自己嫌悪に陥ってしまうこと。
 ですが「私たちはみな懸命に生きる愚か者でしかない」としっかり理解しておけば、「思わず感情が燃え上がってしまうくらい自分も真剣なんだ」という風に受け止めることができ、自分に起きた反応を「いけないもの」として断罪してしまわずに「未熟さゆえのもの」としてより穏便に処理できます。
 同じ愚を犯すのが嫌なら今回下手くそだったところを今後は上手に対処できるように反省すればいいだけの話で、「あれは間違っていた」といつまでも自分にレッテルを貼ってひきずる必要はないのです。
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 生身の人間として生きる以上、怒りや嘆きの火種が着火してしまうこと自体は避けようのないこと。
 ですがそうした感情の火種を、小火のうちに鎮火させるかどんどん燃え上がらせて大火にしてしまうかは、その人の常日頃からの在り方次第です。
 もしこうした感情の炎で己の身を焼くのが嫌なのであれば、そもそも自分自身が「積極的に怒ったり嘆いたりしたがるような在り方」を選び取ってはいないか検討してみる必要があるでしょう。
 
 私はこれまで「私たちはみな懸命に生きる愚か者でしかない」という心構えを持つことで、「私の期待を外すなんて許せない」といった「己の在り方が招く自滅的な延焼」を最小限に食い止めてきました。
 怒りや嘆きの感情をゼロにすることができないならば、せめて自分自身の手で火に油を注いでしまわないよう心の減災に努めたいものですね。

  

※当ブログの主なテーマは、この世界を支配する「正しさ」という言葉のプロレスとの付き合い方。
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そのプロレス的世界観を支えている固定観念の源を「記述信仰」と名付け、その実態を以下のような図にまとめて解説しています。

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