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間違ってもいいから思いっきり(市井人の日曜研究)

私たち人間は、言葉で物事を考えている限り、あらゆるものを「是か非か」と格付けする乱暴な○×ゲームに絶えず影響されています。ここでは、万人が強制参加させられているこの言語ゲームを分析し、言葉の荒波に溺れてしまわないための知恵を模索していきます。

私の強育論

学習は本能です。
どんな人も伸びています。
あなたの物差しでは測れなくても。

 これは、前回紹介した『強育論』にある宮本哲也の言葉を、私なりの教育観に合わせてアレンジしたものです。
 ちなみに、彼のオリジナルバージョンは以下の通りです。

学習は本能です。
どんな子でも伸びます。
親が余計なことをしない限り。 

強育論-The art of teaching  without  teaching-

強育論-The art of teaching without teaching-

 

 彼のこの言葉は、親や教師の余計な関わりのせいで勉強が嫌いになってしまっている子どもたちの現状を表す痛烈な皮肉であり、大人たちの過干渉をたしなめるための前向きな提言でもあります。
 実際、私の場合も幼少期から「勉強しろ」と干渉してくる大人がいなかったため、勉強に対する自分なりの興味に水を差されることなく育っていくことができました。

http://mrbachikorn.hatenablog.com/entry/2014/10/19/000000


 ただ、過去に過干渉な子育てをしてしまったと思う親たちは、この言葉を「私が余計なことをしたから伸びなかったのか」「うちの子はもう手遅れなのか」などと後ろ向きに受け取ってしまうかもしれません。
 そこで今回は、子育てと呼ばれる時期をすでに過ぎてしまった親たちが、この提言を「現在の我が子との関係」にどう前向きに活かしていけるのかについて考えてみたいと思います。

 まず「うちの子がもう手遅れなのかどうか」という心配の仕方については、こうした受け取り方自体に根本的な問題があります。
 子どもはあなたの所有物でも作品でもありません。
 その人格の持ち主は子ども自身ですから、「その子が不良品かどうか」「その子が失敗作かどうか」を査定する権限など、あなたには最初から与えられていないのです。

 動物には学習の本能が備わっていますから、どんな人も生きている限りは学び続けているものです。
 たかが親の関わり方ごときで、生まれもった本能の働きを停止させることはできません。
 たとえあなたから「親による支配的な関わり」という環境が与えられたとしても、子どもは己の興味に応じてその環境からでも確実に何かを学んでいきます。

 ですから、あなたの子を伸ばしていく真の立役者は、その子自身の本能です。
 あなたには「我が子を伸ばす」という役目も権限もありません。
 別人格であるあなたは、子どもにとって環境の一つに過ぎません。

 『強育論』では「親が余計なことをするから子どもの学習の本能が壊れる」という指摘がありましたが、それは「親による支配的な関わり」の中では支配者が誘導する「勉強」というジャンルに興味関心を持てなくなると言っていただけ。
 あなたが実際に「うちの子は伸びていない」と感じるのであれば、それは我が子を「自分の期待」という物差しでしか測っていないからです。
 あなたの目の行き届かない場面で、あなたの子は確実に伸び続けています。

 あなたの子がこれまで生きてこれたということは、その子の環境が「生き延びていける程度には快適だった」ということであり、それだけでも十分に親の役割は果たしていると言えます。
 あなたがそれ以上の関わり方をしたいと望むのならば、子どもにとっての「より快適な環境」を目指すくらいしか選択肢はありません。

 過干渉な親たちの「我が子が自分の期待通りに育ってほしい」というリクエストは、そんな分別をわきまえない甘ったれのわがままです。
 この『強育論』から学べる親子関係の知恵があるとすれば、「どんなに近い関係であっても別々の人格を持つ者同士として分をわきまえる」ということになるでしょう。

 あなたがこれまで我が子に対して「あまり快適ではない環境」にしかなれていなかったと反省できるのであれば、「どうにかして我が子を救ってやろう」とあれこれ勝手に手出しするのはやめましょう。
 そのような「上から目線の支配的な介入」こそが、あなた自身が子どもにとっての「不快な環境」へと成り下がっている要因です。
 あなたがいまだに保有しているつもりの「子の人格を査定する権限」を、そろそろ完全に手放してください。

 そうして、環境に応じて学ぶ本能を立派に備えている我が子を、あなたと同じ様に一人前の人格を持った他者として尊重していきましょう。 
 あなた自身の態度が「上位者としての介入」から「対等者としての尊重」へとシフトすることができれば、「より快適な環境」としてあなたが受け入れられていく可能性が開けますから。

 この本を通じて私が強調したかったのは、「自分の思い通りに他者を操作することはできない」というただそれだけのこと。
 世の中には「子育てとは子どもに言うことをきかせることだ」という先入観に踊らされて、それと知らずに我が子を傷付けてしまう親がたくさんいます。

http://mrbachikorn.hatenablog.com/entry/2014/10/26/222836


 「素直に言うことを聞く人間」を重宝して量産したがる日本社会では、その傾向が特に強いかもしれません。

http://mrbachikorn.hatenablog.com/entry/2014/09/21/211415
 こうした大人たちの幼稚な支配願望を咎めるために、先の『強育論』を紹介させていただいたわけです。


過干渉を戒める劇薬 - 間違ってもいいから思いっきり

 繰り返しますが、子どもにとってあなたは環境の一つでしかありません。
 「これからあなたの子が大丈夫かどうか」というのはその子自身の問題であって、あなたの問題ではありません。
 過去の子育てを悔やんでいる暇があったら、いまだに抱えてしまっているその支配願望をとっとと手放してみてはいかがでしょうか。



※当ブログの主なテーマは、この世界を支配する「正しさ」という言葉のプロレスとの付き合い方。

http://mrbachikorn.hatenablog.com/entry/2014/03/12/175400
※そのプロレス的世界観を支えている「記述信仰」の実態を、簡単な図にしてまとめています。

http://mrbachikorn.hatenablog.com/entry/2014/07/06/051300