間違ってもいいから思いっきり

私たち人間は、言葉で物事を考えている限り、あらゆるものを「是か非か」と格付けする乱暴な○×ゲームに絶えず影響されています。ここでは、万人が強制参加させられているこの言語ゲームを分析し、言葉の荒波に溺れてしまわないための知恵を模索していきます。

ヒトは特別な動物ではない

 戦争やテロや殺人事件など「人殺しが起きた」というニュースは、私たちの生きる現代社会では「許されざる悲劇」として毎日のように伝えられています。
 また、熊や猪など大型獣の駆除、魚介類の漁、食用に育成した家畜の屠殺、犬や猫の殺処分、殺虫剤による虫の駆除などの殺害行為もこの文明社会のシステムの中に当たり前に組み込まれており、時折その是非が議論の対象となります。 
 さらに、野生の世界では動物同士の殺し合いが常に行われていますが、このことは「自然の摂理」として当然のことのように受け止められています。
 
 私たち人間は、これらのバリエーション豊かな「殺し」の中でも、「人間による仲間への殺し」だけを「悪」と定めて断罪する傾向を持っています。
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 そして、この「殺してはいけない仲間かどうか」の基準は、それぞれが持つ価値観によって左右されるローカルなものでしかありません。
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「どんな理由があっても人殺しなどの人権侵害は許されない」
「襲いかかってくる(かもしれない)敵を殺しても正当防衛だから構わない」
「凶悪犯罪者はもはや私たちと協調できる仲間ではないから死刑にすべきだ」
「奴隷は家畜と一緒だから一人前の人間と同等に扱う必要はない」
「有色人種は邪悪で劣った種族だから白人と等価値ではない」
「イルカなど知能の高い特別な動物は我々の仲間だから彼らの権利を守らなければならない」
「犬や猫など私たちの愛しいパートナーを殺してはいけない」
「たとえ食用の家畜といえども劣悪な環境で虐待するのは可哀想だ」
「食べるために動物の命を奪うのはやめて完全菜食にすべきだ」
 
 このように、「許される殺し」と「許されない殺し」との線引きは、私たちの脳内にどんなストーリーが描かれているかによっていくらでも変わっていくものです。
 その証拠に、虫は生物学上の分類では動物の仲間と認められているにも関わらず、「害虫駆除は倫理的に決して許されない」という主張を聞くことはほとんどありません。
 それは「人に害をなす虫ならば殺しても構わない」という主張にいくらかの普遍性があるからではなく、虫のことを親密な仲間だとみなすような物語が人間たちの脳内には滅多に描かれてこなかったからです。
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 この世はもともと、お互いが自由に影響し合う世界。
 殺し合い、奪い合い、脅し合い、騙し合い、妥協し合い、協力し合う。
 許されるとか許されないといった「人間都合のお話」とは無関係に、生存を賭けてそれぞれが好き勝手に影響し合っているのが動物たちの実態です。
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 そんな動物たちの中で、他者を殺す能力に最も長けているのが人間です。
 私たち人間は、その圧倒的な殺傷力を活用して自分たちが生活していくための独占的な居住地を地球上に拡大し、そこから他の動物たちを追い出していきました。

去勢されない強さ - 間違ってもいいから思いっきり(市井人の日曜研究)
 
 さらに西欧諸国は、近代合理主義思想に逆らう人間たちを虐殺、恫喝、懐柔などの手段で制圧することで、お互いが比較的安全に行き来し合える「近代的な国際社会」を築き上げていきました。
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 私たちが享受している「見かけ上の平和な世の中」は、このような無数の殺戮によって支えられているものです。
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 『銃・病原菌・鉄』など数々のベストセラーで知られるジャレド・ダイアモンドは、私たち現代人の持つ人間中心主義や西欧中心主義を、その独自の視点から徹底的に批判してきました。

銃・病原菌・鉄〈上巻〉―1万3000年にわたる人類史の謎

銃・病原菌・鉄〈上巻〉―1万3000年にわたる人類史の謎

 彼の主張は「人間は同族殺しに手を染める唯一の凶悪な動物だ」とか「自然と調和できていたはずの人間を文明の発達が狂わせてしまった」といった、巷にありふれる平凡な論調とは一味違います。
 彼は人間にも西欧文明にも、特別な高貴さや普遍性などを認めていないのと同時に、ありがちな批判者のように特別な邪悪さや不自然さがあるとも認めていません。
 
 ヒトは、動物たちのグラデーションの中の単なる一つ。
 西欧文明は、文明のバリエーションの中の単なる一つ。
 たまたま地球上の征服者になれたから勘違いしているかもしれないが、私たちが本質的に「特別」なわけではない。
 
 彼の立場はこのように言い替えることができるでしょう。
 1991年に刊行された彼のデビュー作『ヒトはどこまでチンパンジーか?』には、チンパンジーの生態研究によって発見された、チンパンジーの集団同士による戦争の実例がいくつも紹介されています。

人間はどこまでチンパンジーか?―人類進化の栄光と翳り

人間はどこまでチンパンジーか?―人類進化の栄光と翳り

 そして、善くも悪くもヒトを特別視したがるナルシスティックな一般論にこう挑戦します。
 
しばしば主張されるように、人間は同じ種のメンバーを殺すという意味でユニークな動物であるというのは、事実でしょうか?
実際には、近年の研究から、多くの動物(すべての動物では決してありませんが)でも同種内の殺し合いが記録されるようになってきました。
 
コモンチンパンジーはすでに、計画的な殺害、隣接集団の皆殺し、領土征服のための戦争、若い適齢期の雌の略奪を実行していました。
もしチンプが、槍やその他の戦争のための道具を手にしたならば、彼らの殺しは、疑いもなく、私たちのような効率的なものに近づき始めることでしょう。
 
チンパンジーの行動からは、人間の証しである集団生活がなぜ生じたかについての主な理由が示唆されます。
すなわち、ほかの人間集団からの防御のためではないかという考えです。
 
 動物はもともと互いに殺し合う生き物であり、その中でヒトは高い殺傷技術を獲得する縁にたまたま恵まれていたというだけ。
 ヒトの動物としてのほとんどの性質はチンパンジーと大差なく、大袈裟に騒ぎ立てるほどヒトは「特別」な存在ではないというのが、彼の一貫した態度です。
 
 こうして彼は、「人間は同族殺しを行う唯一の凶悪な動物だ」という、感傷的かつ自虐的な人間観に対して、アリやオオカミやチンパンジーといった同族殺しを行う他の動物の具体例を突きつけます。
 そして、返す刀で「自然と調和できていたはずの人間を文明の発達が狂わせてしまった」という古臭い文明批判にも斬り込みます。
 
 彼はまず、石器などを用いていた時代の人類ですらマンモスやオオジカやジャイアンバッファローオオカンガルーなど数多くの大型獣を絶滅させてきたという考古学的な仮説とその根拠をいくつも提示し、「今のように文明が過剰に発達しなければ他の動物を絶滅に追いやらずに済んでいたはず」とする単純で希望的な見方を否定します。
 さらに、ニューギニアの内陸部で外界から閉ざされ、20世紀まで石器を使って生きてきた高地人たちの人殺しに対する態度を以下のように描写することで、「文明と無縁な未開人ならば現代人よりも汚れていなかったはず」という淡い幻想も打ち砕きます。
 
全地球はいまや政治的な国家に分割され、その国民は国の内外を多かれ少なかれ自由に旅行する権利を享受していることを思い出して下さい。
それとは反対に、過去1万年を除く人類の歴史では、各村や部族が政治的な単位を構成し、隣の集団との間で戦争、停戦、同盟、交易を永遠に繰り返しながら暮らしていました。
したがって、ニューギニアの高地人は出生地から20キロメートル以内で一生を過ごしていたのです。
 
彼らは、境界を接する部族の土地に、戦争中の侵略時にはこっそりと、停戦中には許可を得て入っていったかもしれません。
しかし、直接隣接する土地のさらに向こうまで旅行する社会的枠組みはありませんでした。
関係のない見知らぬ人間を許容するなどという発想は、見知らぬ人間があえてやって来るという発想と同じくらい考えられないことでした。
 
今日でも、このような不可侵的なメンタリティの伝統は、世界の各地に存続しています。
ニューギニアでバードウォッチングに行くときにはいつでも、私はわざわざ最寄りの村の土地や川で鳥をみることの了解をとることにしています。
 
西ニューギニアのエロピ族の中で生活し、隣のファユ族の領地を通って近くの山に登ろうとした時には、もし私がそうしようとするなら、ファユ族の連中が私を殺すだろうとこともなげに説明しました。
ニューギニアの考え方では、そんなことは完全に当たり前で自明のことのようでした。
 
もちろんファユ族の人たちはどんな侵略者でも殺しますとも。
なぜって、彼らが愚かにもよそ者が領地に入ることを許すとは決して思えないじゃないですか?
よそ者は、大きな獲物を狩猟し、女を犯し、疫病をもたらし、これからの戦争に備えて地形を偵察するでしょうからね。
 
1930年にマイケル・レイヒーによって「発見」され、50年後にインタビューを受けた高地人たちは、初対面の瞬間に彼らがどこにいて、何をしていたかをまだ完全に憶えていました。
アメリカ社会にとっての真珠湾とその結果生じた戦争の結果も、ニューギニアの高地人が最初に出会ったパトロール隊の衝撃に比べれば小さなものでした。
この日を境に、彼らの世界は永久に変わったのです。
 
彼らの持ち込んだ鉄の斧とマッチが、石の斧と火おこし用の錐より優れていることはすぐにはっきりしました。
パトロール隊に続いた宣教師と政府の役人は、カニバリズムや一夫多妻、同性愛、戦争といった彼らに根付いていた文化的慣習を抑圧しました。
 
 つまり、チンパンジーやヒトにとっては、他の動物も同族のよそ者も自分たちの命をおびやかす(かもしれない)脅威には変わりありません。
 彼ら(私たち)にとって、危険性のある(かもしれない)よそ者に戦争を仕掛けることは、別に倫理的に問題のあることではなく、他の動物を捕食するのと同程度の「自然の摂理」に過ぎなかったのです。
 
 ニューギニアの高地人たちは、圧倒的な武力を持つ西欧人と出逢うことで制圧され、キリスト教的な倫理観の実践を強いられることになります。
 それで彼らの慣習が完全に消えるわけではありませんが、少なくとも西欧人の支配が及ぶ範囲ではそれまでの行動を改める必要がありました。
 銃を備えた西欧人たちに殺されないために表向きの従順を示すことは、自分たちの命を守るための「自然の摂理」に従う行動だったはずです。
 
 そしてこのニューギニアの高地人たちの「表向きの従順」は、文明社会を生きる私たち現代人にも共通した態度です。
 私たち人類はこれまで互いに大量虐殺を繰り返しながら、こうした「自然の摂理」に従って現在のような「近代的な国際社会」にたどり着いてきました。
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 「どんな理由があっても人殺しなどの人権侵害は許されない」といった主張が優勢でいられるのも、その倫理観を押し付けられるだけの軍隊や警察といった殺傷能力の後ろ楯があってこそ。
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 どれだけきれいごとを並べ立てたところで、人殺しを抑えこめるのは「人を殺せる力」でしかないのです。
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 それでは最後に、『ヒトはどこまでチンパンジーか?』にまとめられている人類史における大量虐殺の代表例をみなさんに紹介して終わりたいと思います。
 私たち現代人が共有している(つもりの)御大層な価値観は決して普遍的なものではなく、過去になされてきた無数の大量虐殺によって飼い慣らされたものに過ぎないということを忘れないために。
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【一万人以下の大量虐殺】
1497〜1829年ニューファンドランド島にて、フランス人とミクマク族によってベツオクインディアンが虐殺される。
1800〜1876年のタスマニアにて、オーストラリア人によってタスマニア人が虐殺される。
1835年のチャタム諸島にて、マオリ人によってモリオリ人が虐殺される。
1964年のザンジバルにて、黒人によってアラブ人が虐殺される。
1966年のナイジェリアにて、北ナイジェリア人によってイボ族が虐殺される。
1970年代のパラグアイにて、パラグアイ人によってアケ・インディアンが虐殺される。
1978〜1979年の中央アフリカにて、ボカサ皇帝によって反体制者が虐殺される。
1985年のスリランカにて、シンハリ人によってタミール人が虐殺される。
1985年のスリランカにて、タミール人によってシンハリ人が虐殺される。
 
【一万人以上の大量虐殺】
1572年のフランスにて、カソリック教徒によってプロテスタントが虐殺される。
1652〜1795年の南アフリカにて、ボーア人によってブッシュマンとホッテントットが虐殺される。
1745〜1770年のアリュート諸島にて、ロシア人によってアリュート人が虐殺される。
1788〜1928年のオーストラリアにて、オーストラリア人によってアボリジニが虐殺される。
1870年代のアルゼンチンにて、アルゼンチン人によってアロカニアンインディアンが虐殺される。
1904年の南西アフリカにて、ドイツ人によってヘレロ族が虐殺される。
1917〜1920年ウクライナにて、ウクライナ人によってユダヤ人が虐殺される。
1940年のカティンにて、ロシア人によってポーランド兵士が虐殺される。
1947年のインドにて、イスラム教徒によってヒンズー教徒が虐殺される。
1947年のパキスタンにて、ヒンズー教徒によってイスラム教徒が虐殺される。
1957〜1968年のブラジルにて、ブラジル人によってインディアンが虐殺される。
1962〜1963年のルワンダにて、フツ族によってツチ族が虐殺される。
1975〜1976年のインドネシアにて、インドネシア人によってチモール人が虐殺される。
1975〜1990年のレバノンにて、キリスト教徒によってイスラム教徒が虐殺される。
1975〜1990年のレバノンにて、イスラム教徒によってキリスト教徒が虐殺される。
1976〜1983年のアルゼンチンにて、アルゼンチン兵士によってアルゼンチン市民が虐殺される。
1977〜1979年の赤道ギニアにて、独裁者によって反体制者が虐殺される。
 
【十万人以上の大量虐殺】
1941〜1945年のユーゴスラビアにて、クロアチア人によってセルビア人が虐殺される。
1943〜1946年のロシアにて、ロシア人によって少数民族が虐殺される。
1955〜1972年のスーダンにて、北スーダン人によって南スーダン人が虐殺される。
1965〜1967年のインドネシアにて、インドネシア人によって共産主義者と中国人が虐殺される。
1971〜1979年のウガンダにて、イディ・アミンによってウガンダ人が虐殺される。
1972〜1973年のブルンディにて、ツチ族によってフツ族が虐殺される。
 
【百万人以上の大量虐殺】
1492〜1600年の西インド諸島にて、スペイン系白人によって西インド諸島カリブ海インディアンが虐殺される。
1498〜1824年の中南米にて、スペイン系白人によってインディアンが虐殺される。
1620〜1890年のアメリカ合衆国にて、アメリカ人によってインディアンが虐殺される。
1915年のアルメニアにて、トルコ人によってアルメニア人が虐殺される。
1971年のバングラデシュにて、パキスタン軍によってベンガル人が虐殺される。
1975〜1979年のカンボジアにて、クメール・ルージュによってカンボジア人が虐殺される。
 
【一千万人以上の大量虐殺】
1939〜1945年のヨーロッパにて、ナチによってユダヤ人・ジプシー・ポーランド人・ロシア人が虐殺される。
1943〜1946年のロシアにて、ロシア人によってロシアの反体制者が虐殺される。




※当ブログの主なテーマは、この世界を支配する「正しさ」という言葉のプロレスとの付き合い方。
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「正しさ」というゲームの最大の欠陥は、何を「正しい」とし何を「間違ってる」とするのかというルールや、その管理者たるレフェリーが、実際にはどこにも存在しないということ。

人類はこれまで数え切れないほどの論争を繰り広げてきましたが、それらのほとんどは「レフェリーの代弁者」という場を仕切る権限をめぐっての権力闘争でした。
 


「レフェリーの代弁者」という立場は、自分の個人的な要求でしかない主張を、まるでこの世の既成事実のように見せかけるための隠れ蓑です。

「それは正しい」とか「それは間違ってる」という言い方で裁きたがる人たちは、私はこの世のレフェリーの代弁をしているだけなんだという迫真の演技で己の発言の圧力を高めていたのです。
 


演技の迫力とは、演技者が役にどれだけ入り込めるかで決まるもの。

人々はいつしかレフェリーの代弁者のふりが説得のための演技であったことを忘れ、「どこかに本当の正しさがあるはず」といった物語を本気で信じこんでしまいます。

こうして人類の間には、「正しさ」という架空のレフェリーの存在をガチだと捉えてしまう、大がかりなプロレス社会が成立していきました。

そのプロレス的世界観を支えている固定観念の源を「記述信仰」と名付けました。

以下の記事では、この「記述信仰」の実態を上のような簡単な図にまとめて解説していますので、ぜひご一読ください。
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